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88年に軍事政権になってから、各省の大臣は当然軍人がほとんどですし、最近は、局長あるいは局次長、下手をすると課長クラスまで軍人が天下りみたいな形で入ってきております。しかも、軍人の命令系統がそうなのかもしれませんが、かなりトップダウンで行われるということなので、下手をすると、我々がJICAの研修生をどこかに派遣したいというようなことも、閣議で諮らないと向こうは意思決定をしてくれないというようなことが行われております。したがいまして、下から計画を積み上げて何かプロジェクトをやるといったことが、なかなかうまくいかないということです。

先ほどの新マンダレー空港についても、いわれるところには、現在のトップであるタン・シュエさんが、あそこに空港をつくれと言ったからつくっている。航空局の担当者にヤンゴンとのすみ分けはどうするんだとか、あるいは現マンダレー空港とのすみ分けはどうするんだというようなことを聞いても、だれも答えられないというようなことが発生しております。

我が国に求められている援助の形態としましては、現時点でもそうだと思いますけれども、大使館のほうには、ミャンマーから100以上のさまざまな資金協力ですとか、技術協力の要請といったものが上がってきております。我が国は、欧米諸国の顔色も見つつ、民主化や人権状況の改善もはかりつつ、基礎的生活分野を中心に、ケース・バイ・ケースで行うということにしておりまして、現時点では、ヤンゴン空港のプロジェクトを除いては、社会資本に関する援助は行われていないというのが現状です。

社会資本全般にわたって整備すべき課題は非常にたくさんあるようでして、我が国への期待も非常に大きいものがございます。今後、かつてのヴィエトナムのように、開発援助の草刈り場となる可能性もあるということで、今のうちから人づくりといった面で、例えば、パイプを太くしておくとか、あるいは、何かマスタープランの作成といったものを助けるとかいったことが第一に不可欠ではないかと考えております。

最後に、皆さんにご興味のあるスー・チー女史さんのことについて一言話させていただきますと、1945年、昭和20年生まれなんですけれども、国民の大ヒーローであるアウン・サン将軍という方の娘ということで、これはもうとにかく理由もなしに、とにかく人気があります。彼女が「あー」と言えば「あー」と言うような、とにかく理由もなしに人気があるような、そういう方です。ただ、88年まで、そのほとんどを外国で暮らしておって、しかもミャンマー人の最も嫌いな英国人と結婚したということがなければ、こんなにもややこしくはならなかったのかなとも思います。

というのも、先ほどからも話しておりますが、麻薬問題ですとか、少数民族問題、それから88年の暴動もそうですが、すべて欧米を中心とした外国が後ろで糸を引っ張っているというようなことが大かれ少なかれあるようである。そういったことで、特に今の政権の軍人の方々とかは、外国人の干渉といったものをものすごく嫌うというか、拒絶反応を示すというのがあります。したがって、スー・チーさんもそういった目で見られているというのが事実だと思います。

ご存じのとおり、大変美人でして、大変聡明な方で、英語もネイティブのように上手で、考え方も欧米流で、欧米の方々に大変人気があるというのもうなづけるわけですが、最近の彼女のやり方に対して、柔軟性がないというふうな非難が、欧米のほうからも上がっているのも事実のようでございます。民主化が確立されるまで欧米に経済制裁をしろというのは、言いかえれば、国民を人質にとってクーデターが起こるまで物も食うなというようなことにも通じますので、どうかなと。日本大使館などの考え方は、どちらかというと、スー・チーさんと今の政権と等距離でというような感じだったんですが、看護婦の学校の援助をしたときに、看護婦の学校をつくるのはけしからぬというようなことを彼女が言った後は、ちょっと雰囲気が、大使館の中の世論もかなり彼女に対して批判的になったというのが事実だと思います。

どちらにしろ、軍事政権側にも非常に多くの問題があるのも事実でして、スー・チーさんがいろいろ非難しているのも、当たっている点もかなりあるのも事実だと思います。どちらにしろ、この両者が和解して政治的な問題が解決しない限り、ちょっと日本政府としても何も動けないという状況だと、この国の発展もなかなか後送りにならざるを得ないのかなということで、どうすればいいんだろうなと、遠く霞が関から祈っている最近でございます。

ミャンマーに関する日本の報道というのは、かなり偏った面がありまして、3年間現地に滞在して、ほんとうに報道と現実との乖離というものを実感したわけでございます。町ではほとんど軍人を見かけることもございませんし、非常に親日的で優しい人たちが住んでおります。それから、ヤンゴンを一歩離れれば、電気もない、電話もない、道路もがたがたで、ウシに乗って日陰で普通の日の昼間から寝ころんでいるというような人々が生活しております。GDPが200ドルとか、250ドルだから、確かに金銭的には貧乏であるのは間違いないとは思うんですけれども、ほんとうは貧しくないんだろうなというふうに感じます。

日本流の開発を単に押しつけるのではなくて、ミャンマー流の発展の仕方というものを模索していかなければいけないのだろうなと思うんですが、先ほども言いましたが、ミャンマーの政府にそういったテクノクラートはいないというようなこともありますし、そういったことを何か助けられるかなと感じているきょうこのごろでございます。

いろいろなことを述べましたけれども、簡単ではございますが、ご参考にしていただければと思います、以上でございます。ご静聴ありがとうございました。

【男竹理事】 どうもありがとうございました。

ちょっと時間がございますので、何かご質問があれば承りたいと思います。どうぞご遠慮なく。

それでは、川上さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。大変お忙しいなかをわざわざありがとうございました。(拍手)

それでは、10分ほど休憩をして、第2部といいますか、次はカンボディアのお話をお聞きすることにしたいと思います。

 

 

 

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