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2 エジプト共和国の概要

 

2.1 一般概要

 

エジプトアラブ共和国は、アジア・アフリカおよびヨーロッパの結節点に位置し、その人口は、5776万人(1992年)を擁する。国土は北緯22度から35度、東経25度〜35度間に位置し、東西1240km、南北1020km、面積100km2である。

地勢はほぼ平坦であるが国土の95%が砂漠であり、ナイルデルタ地帯およびナイル川流域の細長いグリーンベルト地帯に全人口のほとんどが居住し、また耕地もこの地域に限られている。

気候は地中海沿岸を除く、ほとんどが降雨のない砂漠気候である。降雨量は地中海気候のアレキサンドリアで190mm/年、半内陸性気候のカイロでわずか25mm/年である。

国土は、26の行政区域に分かれており、主要都市として、カイロ(人口160万人)、アレキサンドリア(290万人)、ポートサイド(38万人)、タンタ(37万人)、スエズ(29万人)などがある。

 

2.2 社会・経済

 

エジプト経済は1974年に導入されたオープン・ドア・ポリシーによって長年にわたる戦時体制と、それに伴う軍事費の重圧による疲弊から脱却し、回復期を迎えた。すなわち、国営企業の生産性の向上、民間部門の活性強化、外国資本の導入による経済のテコ入れである。この政策に加え石油輸出の本格化、スエズ運河収入、海外出稼ぎ労働者からの送金、観光収入の順調な推移等により、70年代後半から81年半ばまで平均2桁の高度成長を成し遂げた。

1990年8月の湾岸戦争の勃発によって、エジプト経済は海外出稼ぎ労働者からの送金、観光収入、スエズ運河収入の大幅減により大きな損失をこうむった。しかし、エジプト経済の最大の懸案事項である対外累積債務については、この湾岸戦争において、「反イラク網」を貫いたことにより、米国、湾岸諸国が債務削減を決定したこと、91年5月のパリ・クラブ全体会議の合意に基づき債務削減・繰り延べ等により明るい兆しを見いだした。湾岸戦争終結後、地域の安定化と復興需要、出稼ぎ労働者からの本国送金の回復、スエズ運河収入、観光収入が復調したことなどより、表2.2.1に示す経済成長を達している。

 

表2.2.1 92年から96年におけるGDPの推移

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