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当時は市場開拓などは不要で、ニーズがたくさんありました。北京、上海、西安、桂林、広州などは当時として人気の高い都市であるに関わらず、旅行者の泊まるところもなく帰る時にも航空券もなかなか手に入らないというものでした。

ホテルの例を挙げて申しますと、1980年まで全国でホテルがわずか203軒しかないのに対し1997年には5,200軒にのぼりました。しかも現在はすべて国際基準に照らして「星級」を指定しています。その内、全国の1/3の省に五つ星ホテル57軒、2/3の省に四つ星ホテル157軒を有しています。三つ星ホテルは895軒あり、全国各省にもあるというレベルになりました。さらに二つ星ホテルは1,339軒、一つ星ホテルは276軒あり、全国各主要な観光地にはこのようなホテルがすべて揃っています。

観光業を発展させるには人材の育成が欠かせません。中国は当初ホテルマネージメントの人材がほとんどありませんでした。当時の中国には招待所という宿泊施設しかありませんでした。その招待所には各フロアに服務員人配備し、各部屋のキーを束ねて持たせていました。彼女らは宿泊客が部屋にいるいないに関わらずいつでも部屋に入ることができました。宿泊客にはキーを渡していなかったのです。しかし宿泊客の方は海外でのホテルに慣れていたので、このような招待所方式にはとても慣れることができませんでした。そこで我々は近代的なホテルを管理する人材を養成するために多くの若者を海外に派遣し、勉強させる一方、国内では合資、合弁によって海外の管理者人材や先進的な管理技術を導入いたしました。

1978年に中国初の観光専門学校が誕生し、1997年まで観光大学及び観光学科を設けている大学は166校にのぼりました。この他、観光専門学校は42校、職業高校は637校あり、これらの学校に在籍している学生は20万人にも及んでいます。

これと同時に中国の航空業もめまぐるしい発展を見せています。航空会社は当時の1社から22社に増え、航空機の大部分はアメリカのボイングシリーズを採用しています。現在では航空輸送能力は完全に市場のニーズを満たしています。

高速道路の建設も飛躍的に発展しました。全長5,000キロメートルはすでに完成しています。北京天津間、青島済南間、上海南京間、藩陽大連間、海南島環状線など観光客がよく利用する路線は全て高速道路を整備しています。

列車のスピードも段々と速くなり、車両の設備も絶えず改善してきました。例えば上海から南京、蘇州、杭州、寧波、黄山まで、北京から天津、承徳まで、鄭州から西安まで、済南から青島までの間は設備の整った観光専用列車が開通しました。

これと平行して各地にも空調付きの大型観光バスを大量に導入しています。

以上述べた通り、様々な設備条件の改善により中国の受け入れ能力を大きく高めました。1980年中国に入国した海外の観光者数は570万人、世界第17位、外貨収入は6億米ドルで世界第34位でしたが、1997年には入国者数5,760万人で世界第5位、観光業による外貨収入は121億米ドルで世界第8位と著しくランクアップしました。1997年中国国内国際旅行の総収益は3.l12億人民元でGDPの4%を占めています。

WTOの予測によれば2020年になりますと中国は世界一の観光客受け入れ国になる一方、国内観光客の出国者数は世界第4位になるそうです。

 

 

 

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