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6. トルコ及びシリアの歴史と歴史年表

 

(1) トルコの歴史

●新石器時代〜青銅器時代(8000〜2000B.C.)

旧石器時代からアナトリアには人が住み狩猟生活をしていた。新石器時代には農耕が彼らの生活の中心となり、原始芸術の発展も見られた。宝石が装飾品に使われたり、粘土の小像が作られ崇拝された。寺院の壁には牛の絵が描かれた。特に牛の角は神聖視きれていたようだ。コンヤの村落チャタルホユックは、アナトリア最古の原始共同体であり、この時代の代表的なもので、またハジラルで発掘された赤や黄色の彩色土器も重要である。

3000B.C.頃になると銅と錫をまぜた青銅器で武器や道具を作るようになった。金・銀をはめ込んだ像、アラジャホユックの王家の墓で見つかった金の道具類は、この時期に大きな進歩があったことを示している。ドイツ人シュリーマンが1873年に発掘したトロイはこの頃が最盛期で、金の腕輪、ネックレスなどに見られる卓越した文化や芸術を誇っている。

2000B.C.頃、アッシリアの商人たちが植民を始める。アナトリアの金・銀がねらいだった。彼らはそれをメソポタミアからもってきた装身具や着物と交換した。中心地はキュルテペである。ここで出土した粘土板文書によって、当時の交易を伺い知ることができる。

●ヒッタイト(2000〜700B.C.)

2000B.C.の初め、アナトリア最初の統一国家ヒッタイトがあらわれる。

ヒッタイトは黒海を渡って来た北方系民族で、鉄器を初めて使用したことで知られている。

ボアズカレに首都をおいたこの王国は次第に勢力を増し1400B.C.頃に一大帝国となる。

1285B.C.カデシュの戦いにおいて、ラムセス2世のエジプトを撃退するほど強大になったが、謎の海洋民族によって崩壊した。この時代の代表的な遺跡はボアズカレのハットゥシャシュ遺跡、ヤズルカヤの神殿、アラジャホユックのスフインクス門などである。

ヒッタイト帝国崩壊の後、生き延びた末喬たちは、各地で国家を作る。これが新ヒッタイトである。中心地はマラテヤ、カルカムシュ、ジンジルリ、カラテペである。しかし、根強かったヒッタイトの影響も弱くなり、アッシリアの文化がとって代わるようになった。

●ペルシャ帝国による征服(900〜334B.C.)

900B.C.頃、当時トゥシュバと呼ばれた町ワンを首都にウラトゥ王国が成立する。アッシリアの内乱に乗じて領土を広げていき、メディアに征服されるまで約3世紀続いた。フンにはウラトゥ王国時代の要塞が残っており、アッシリア楔形文字による文書がみられる。

アナトリアではフリギア人がゴルディオンを首都として国家を作った。ゴルディオン遺跡はアンカラからおよそ100km南東のところにある。ギリシャ伝説でなじみ深い、耳をロバにされてしまったミダス王はフリギアの王様である。ゴルディオン遺跡にはミダス王の墓と見なされる古墳があり。エスキシェヒール近くのヤズルカヤは「碑文の刻まれた岩」と言う意味を持ち、ミダス王のモニュメントなど多くの石碑がある。フリギアは690年にキンメル人によって破壊された。同じ頃エーゲ海地方はギリシャの植民地化が始まり、ミレトスやエフェソスなどの都市が繁栄した。西アナトリアにはサルデスを都にリディア王国が作られた。この国は世界最古の鋳造貨幣を使用したとされている。547B.C.にペルシャが征服し、全アナトリアを含む強大な帝国に発展した。

 

 

 

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