日本財団 図書館


4] 外交

湾岸戦争後、西側との関係回復が進み、日本、EU諸国からの資金協力もとりつけ、レバノン、エジプトをはじめとする周辺アラブ諸国との関係も強化、経済の自由化も徐々に進めている。

中東和平の流れでは、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領し、後に併合を宣言したゴラン高原の全面返還と包括和平の実現を要求、イスラエルとPLO、ヨルダンの個別和平合意に強く反発している。その後イスラエル軍のゴラン高原撤退へ向けた和平への枠組みについての話し合いへの努力は続けられており、両国間の関係も和平の方向に動いていくことが望まれる。

 

(4) 経済

シリアは、開発途上国に良く見られるモノカルチャー経済ではなく、農業・鉱工業・商業など各産業間のバランスがとれた産業構造を有し、また、アラブ世界の中でも国民の教育・技術水準が最も高いことから、その経済発展の潜在力は大きなものがあると見られている。

ところが、独立以来の政治不安と数度の戦争及びバース党政権樹立(63年)以降の社会主義政策などにより、その経済発展は限られたものであった。

しかし、1970年にアサド大統領が政権の座に着くと、シリア政府は、社会主義本来の国家主導型計画経済に市場経済的要素を取り入れ、輸入規制の緩和や法人税の軽減等によって経済の活性化を図り始めた。シリア政府は、経済体制の変化が新たな政治・社会的混乱をもたらすことのないよう、変化はあくまで「限定的・段階的」であることを堅持しつつ、従来三部門(国営・混合・民間)の中で補足的な役割しか与えられていなかった民間企業に対して、その活動を奨励する種々の措置を採ってきている。特に、1991年5月には、国内外のシリア人及び外国人の投資促進を目的に、輸入規制の免除や税金・為替面での優遇措置を盛り込んだ「投資法」(法律第10号)が発布され、その後既に50億ドルの民間投資が承認されている。また、為替レートの問題についても、いくつかの部門での近隣諸国レートの適用など若干の改善が見られた。

また、80年代半ばに発見されたデリブール油日の産油量がその後順調に増加して、89年には純石油輸出国になったこと(94年の生産量60万バレル/日)、湾岸戦争で反イラク陣営に加わったことで湾岸諸国や西側先進諸国からの経済援助が大幅に増加したことなどによって、シリアの財政事情も好転し、90年以降は、年平均7〜8%もの高い経済成長率を達成してきている。

他方、農業生産の不安定、物価と失業率の上昇、政府による金融の独占や為替制度の未整備、間経済の浸透、財政支出に占める高い軍事・治安関係費の問題等シリア経済が抱える問題は深刻なものがあり、現行の経済体制下で今後シリアの経済発展が達成されるか否かについては楽観しがたい。また、現在進行中の中東和平の帰趨がシリア経済の今後の動向に大きな影響を及ぼすであろうことは言を待たない。

((3)政治・国際関係、(4)経済についてはシリア・アラブ共和国概観 (財)なら・シルクロード博記念国際交流財団編による)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION