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しかし、世界遺産への指定が与える影響が、すでに現れ始めている。歴史的にもいちばんの繁華街である南大街は、庶民の生活にかかわる雑貨店や八百屋、金物屋などのたちならが商店街であった。ところが、一九九八年六月に施行された条例により、骨董、古書、伝統的レストラン、伝統的旅館など以外の営業がゆるされなくなった。もともと、ここで店を構えていたひとたちは、商売替えをするか、城外に移って営業することを余儀なくされている。

さらに、ごく最近では、自転車の駐輪禁止も条例化されつつあって、街宣車が買い物客に自転車の撤去をよびかける風景を目にするようになった。これも、商店主の反発をかっている。このあたりの交通手段は、自転車がメインなのに、客ばなれをおこすという理由である。

このため、現在は、南門外大街に店が増え、商業的中心はそちらに移りつつある。そのために、楽隊をともなう葬式行列も、かつてはすどおりしていた南門外大街でたちどまって演奏をするようになった。

建築の保存・保護という点でも、店舗部分の伝統的な意匠をもちいた建て替えや、装飾がおこなわれており、かつての状況とは一変している。

宗教施設や行政施設に関しては、行政の予算での保護、修復が保証されているものの、民間建築、すなわち、住宅や店舗に関しては、やはり民間に頼らざるをえないというのが結論のようである。一九九七年一二月には、保存状態のよい六件の住宅および店舗のオークションがおこなわれた。購入者にあたえられた条件は、博物館、旅館、骨董店など収益のみこめる施設として利用すること。伝統的な内装にしつらえること。そのそれぞれが二〇万元前後で落札されている。

また、こうした動きと同時に、国内外をとわず、投資家の動きも活発化している。観光化をみこんで、住宅をまとめて三、四件購入してホテルや博物館に改造しようというものが多いようである。当然、対象となった住宅の住民は、立ち退きをせまられるわけだが、これは、政府が代行している。さらに、三〇〇メートル四方の街区全体の住民を立ち退かせて、建築博物館をつくる構想までもちあがっている。建築そのものは、保存するが、機能は無視するという物質文化優先の考え方があらわれている。

平遥の観光の目玉ともいえる城壁も、一九八六年以前から、新しいブロックをつかった修復がなされている。そして、一九九八年六月には、うしなわれていた北門楼が再建された。つづいて、西、東、南それぞれの城門楼も再建される予定で、現在文物局を中心に設計の最中である。その設計の根拠がはなはだこころもとないもので、老人の記憶のみである。そのことについて質問すると、日本軍が駐留していたときの写真を探してくれないかと頼まれる始末である。こうした方法で、かつての県衙も再建されている。

以上のような観光化政策、まち全体のテーマパーク化は、住民の反発をうけている。それは、直接的に声に出す批判であったり、うわさばなしをつくりだす。たとえば、北門楼について、周辺の住宅の風水に悪影響を与えるといううわさが流れたため、家々の屋根には、悪い気をさけるための小旗がおどっている。また、下東門の上に展示されている龍のはりぼても、平遥全体に悪い気をもたらし、一九九七年の上半期だけで七〇人の著者が不慮の死をとげたとされている。

 

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南から文廟を望む 城壁に囲まれている様子がわかる

 

こうした反発のあらわれともとれる動きと同時に、それを積極的に需要するひとびとと表面的には無関心なひとびとがいる。現在の不況により失業しているひとは、職をえるチャンスだし、もともと商人の末裔である平遥人の中には商人魂をゆさぶられるものもいるだろう。

様々な関心のもちかたの人々にとって積極的にも消極的にも、観光化というドラスティックな変化が都市や住まいの環境を変容させるきっかけになることはまちがいない。

 

 

 

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