日本財団 図書館


026-1.jpg

中之又神楽の鹿倉舞は三つの谷の鹿倉神が奉納する。

 

026-2.jpg

鹿倉舞の稲荷神。稲荷も山の神である。

 

中之又神楽は、毎年、十一月の最終土曜の午後から日曜の朝にかけて開催される。この日、中之又地区の七つの谷から、中之又神社への村人が集まって来る。中之又の七つの谷には、それぞれ屋敷原、筧木(ひゆうぎ)、中野、板谷、魂所(こぶところ)、松尾の集落がある。中野に中之又神社がある。松尾集落はすでに無人となっている。古くは、それぞれの谷の「鹿倉神社」から鹿倉様が中之又神社へ向かって下ったというが、現在はその習俗は消えている。

神楽は、神事の後、夕刻に始まる。

中之又神社の拝殿の横に神屋が説えられ、そこで、終夜、神楽が舞われるのである。神屋の背後には高い注連(しめ)飾りが飾られ、五色の御幣で飾り立てられている。そこが神の降臨する場である。境内には火が焚かれ、その火の粉が、欅の高い梢まで舞い上がる。村人が作る蕎麦や山菜おこわが売られ、焼酎が酌み交わされる。火の色が村人や観客、登場する舞人などを染める。

中之又神楽は、米良神楽系といわれ、鬼神、荒神、柴荒神、大社、祝神、天神などの仮面を付けた舞が舞い進められる。仮面の舞の前後には、面を付けない静かな舞や、刀を採り物とした重厚かつ勇壮な舞、弓を採り物とした剽悍な舞などが舞われる。直面(ひためん)(仮面をつけない)の静かな舞が招神の舞で、仮面の舞がその土地を守る神、または土地を治める神などが降臨する場面だと思われる。

神楽が中盤にかかるころ、緑色の面を付けた神が二体、まるで狼のようなすさまじい顔付きの面を付けた神が一体、舞い込んで来る。これが「鹿倉舞」である。鹿倉舞を舞うのは、前述したそれぞれの谷の鹿倉様である。村人は鹿倉様を山の神様ともいう。まさに鹿狩りの神が、神楽の場に出現(降臨)するのである。

米良山系の神楽は、その昔、懐良親王が菊池氏とともに落ち延び、米良山中に隠れた時、都から随従してきた宮廷の舞人たちが親王の無聊を慰めるために舞ったのがその起源だと伝えられている。だとすれば、米良山系神楽の起源は南北朝時代だということになるが、その都ぶりの神楽に、ここ中之又では鹿狩りの祭りが習合しているという解釈が成り立つ。同じく米良神楽系の銀鏡(しろみ)神楽は中之又から山一つ越えた西都市銀鏡地区に伝わっているが、そこでは、中世あるいは近世初頭の様式を伝える神楽猪狩りの祭りとが習合しているのである。米良山系の神楽こそ、九州山地の古層を伝える神楽であるといえよう。

中之又神楽は、このあと、演目が岩戸神楽へと移行してゆき、夜明けを迎える。山の端が白み始めるころ、はらはらと雪が落ちてくることもある。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION