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中之又の鹿倉祭りをなんとしても見たいと思って出掛けて行ったのは、一昨年(一九九七)のことである。毎年、十一月の中旬にこの鹿倉祭りは行われるのであるが、その日取りは、関係者以外には公表されない。私は、知人のつてを頼って、中武福男氏を訪ねあて、今回の取材を申し込んだところ、快く許可していただいたのであった。

前日、日向市の川沿いの小さなホテルに投宿した。そして当日は早起きをして南郷村を目指し、途中から小丸川沿いの道へと逸れて、深い谷に分け入ったのである。朝日が切り立った崖のような山の峰を照らし、渓谷からは川霧が立ちのぼっていた。その霧を、峰から落下してきたような陽光が染めた。谷の底で、鴨が鳴いた。絶壁の下に、水を湛えたダム湖があった。

 

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宮神楽の後、祠から鹿倉様の面、鹿倉面を付けた舞人が鹿倉舞を奉納する。

 

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屋敷原鹿倉神社の拝殿は一間四方。そこで宮神楽が舞われ、神をおろす神事を行う。

 

中之又のひとつの谷を溯ると、その奥の行き止まった所に屋敷原地区であり、そこに中武氏のお宅があった。中武氏の家のすぐ裏手が屋敷原鹿倉神社で、「鹿倉祭り」はそこで行われるのである。福男氏が、この祭祀を取り仕切る長老でもあった。

中武氏宅の神棚の前には、前夜から用意された御幣や注連縄などが盆に乗せて飾られている。この盆の上の御幣は、鹿倉神社の祠の中に奉納されるもので、「鹿倉様」「上の宮」である。盆の周囲に置かれている御幣は「村稲荷」「杉の大神」「山宮」「村荒神」「ユスオ荒神と稲荷」「オドウガランと坊主の墓」「中の宮」「岩吉祝神」などである。これらの御幣の多くは「人型(ヒトガタ)御幣」と呼ばれる人の形に切り込みが入れられたもので、少し高めの幣を「タカヒ」、人型をしたものが三つ連なったものを「サンタイ」、人型が二つ連なったものを「ワキダ」などと呼ぶ。人型御幣は九州山地に多く分布し、「モリ」と呼ばれている。この御幣を、当日参加の神官・長老・村人などが持ち、裏手の山に入る。そこには古い木の鳥居があって、そこからが「鹿倉神社」の領域である。山中には、点々と丸い石や小さな祠などが点在していて、それが上記の神々の座す場所である。御幣は、その石や祠の木の根元などに置かれる。その時、その場所に神々が降臨するのであり、御幣は神が宿る依り代である。

屋敷原鹿倉神社は、一間四方の拝殿とその奥に小さな祠があるだけの神社である。森の中に御幣を置き終えた参加者たちは、やがてここに集まって来る。

 

 

 

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