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この本はのちに改題して『図説庶民芸能―江戸の見世物』のタイトルとなったが、内容的には同一である。三樹はたまたま、筆者がかつて勤務していた出版社、平凡社の戦前の大先輩に当たり、筆者が入社した二十年前には、四谷駅上の古河書店主として、ときに雑誌の配達に見えたりしていた。非常に小柄なおじいさんだったので、印象は強い。

当初は不覚にも、この古河書店主と『見世物の歴史』の著者とが結びつかなかったこともあり、ちゃんと話をしたことは一度もなくしたがって影響関係はまったくないのだが、いま思えば残念でならない。「平凡社に住んでいる」という伝説がある荒俣宏氏とも、三樹を特集した「月の輪書林 古書目録九」(一九九六)を手にしながら、そんな話をした覚えがある。やはり先輩で、サーカス好き・見世物好きの海野弘氏はどうであったのだろうか『見世物の歴史』は、著者自らが率直に書くように、内容の過半は無声の『見世物研究』の流用、書き換えである。無声の焼き直しが数あるなかでは、それを正直に記している点がむしろ珍しい、気持ちのいい本である。三樹のオリジナルは、本のうしろの部分、明治以降の歴史や自身の見聞のところにあって、量的には数十ページで、前記の伊藤晴雨を参考にした部分もあるが、所々に知見を開かれる記述がある。それは無声とはまた違った視点からの、見世物に対する見方である。三樹の出発点は、当人の記述にしたがえば「青年時代に放浪の旅先で、世界各国人の男女小人島の一座に会い、身長わずかに四尺、いわば因果物の私は一座に加わりたくて大へん憧れた」にあり、愛着と「辛さ」の両方の思いに支えられていることが、その特徴といえるもかもしれない。

 

追い風よ吹け

 

この二十年ほどでいうと、すでにふれた、延広真治氏(『日本庶民文化史料集成第八巻 寄席・見世物』)および守屋毅氏(復刻版『見世物研究』)の仕事の意味は、研究史のうえできわめて大きい。総合的な見世物研究の場で、最も頼りにできるのが結局、無声であることは衆目の一致するところだが、これら二著が一九七六年、七七年と続けて公刊されたことで、比較的手軽に、無声の仕事にふれることができるようになった。その後の世代の多くは、両書で実際に江戸の見世物を知り、それに触発されながら仕事をしていったのである。筆者自身もそんなひとりで、個人的には、とりわけ延広氏からいろいろな機会に沢山のお教えをうけてきた。また、酒を飲むとすっかり「悪童」の守屋氏と、騒々しく見世物の話をしたのは楽しい思い出である。

筆者の感覚では、上記二つの基本資料に刺激をうけながら、それぞれの分野で別個に見世物への強い関心を抱いてきた人々が、一九九〇年前後から、良い仕事を次々と世に送り出してきた感が強い。美術史の木下直之氏しかり、建築史の橋爪紳也氏しかり、社会学の鵜飼正樹氏しかり、芸能史の樋口保美氏しかりである。また、やや旗色は異なるが、日本史の黒田日出男氏も、この分野に関わる意欲的な優れた仕事をしているし、竹下喜久男氏、神田由築氏、横田則子氏、久留島浩氏、香川雅信氏など、近世史家や民俗学者にも面白い仕事が現われ出している。加えてある時期からは、興味を持つもの同士が一部連帯し、情報交換や共同企画も少しずつおこなわれるようになった。興行の現場では、この十年で木下光宣氏なく、吉本力氏なく、安田里美氏なく、ますます衰退の兆しは強いが、見世物、あるいは見世物文化、見世物的なるものへの関心という点でいえば、どこか「追い風」は吹いているようにもみえる。

日本の「近代」は、見世物を卑俗で無用なものと振り捨ててしまったが、捨てたものは、はたしてそれだけであったのか、再考の必要に迫られているのである。筆者自身はこの夏、「見世物データベース」のコーナーを持つウェブサーバー、 RAKUGO.COM(http://www.rakugo.com/)を立ち上げた。今後はMISEMONO.NETほか幾つかのサーバーも立ち上げて、それぞれを連携させていく構想である。沈滞ムードに固まる世の中だからこそ「見世物への追い風よ吹け」、近頃はそんなことを考えているのである。

〈見世物研究家・出版編集長〉

付記‐戦後の見世物研究史に関しては、復刻版『見世物研究』の守屋毅氏解説、および『見世物研究 姉妹篇』の川添解説に詳しくふれられており、ここでは重複を避け、大きなタイムスパンで記した。先学の故・郡司正勝氏、また、小沢昭一氏ほか多くの方々の仕事に正面からふれ得なかったのは、他意あってのことではない。前記ふたつの解説を併せてお読みいただければと思う。

 

 

 

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