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従軍記者時代の東伍(1895年1月11日撮影)

 

谷川…従軍記者から帰ってきましてその年から『大日本地名辞書』の編纂計画を始めます。最初は小川弘(心斎)の『国邑志稿』を補正するつもりで始めようとしますが、謙遜な立場から急に自分一人で始めようとするのはなぜでしょうか。

渡辺…たぶんはじめは『国邑志稿』を増補する気持ちで取りかかったのだと思います。ところがやり始めたらこれでは済まなくなったと考えたのでしょうか。何の根拠もないのですが。ただ東伍が死んだ後、 いろんな人が東伍について書いていますけれども、市島謙吉(春城)によると、命からがら徒軍から帰ってきて、せっかく助かった命なんだから何かお国のためになるようなことをやろうと決意した、という言い方をしています。果たして本当かどうかは分かりません。

谷川…『大日本地名辞書』の序文の中に河田柳荘という人が文章を寄せていますが、それを見ますと、丹波の人で『校補但馬考』を書いた桜井勉という人が居まして、政府から委託された史誌編纂を担当していましたが、明治二十六年(一八九三)に史誌編纂掛が停止されるのです。それで河田柳荘という人も役所を辞めたのです。「是二至リ地誌事業遂二ヤ輟ム」つまり今までずっと伝統的に続いてきた政府による地誌の事業が終わるのです。これも東伍が『大日本地名辞書』にとりかかる動機と考えられませんか。今までの地誌は一地方に限られていましたが、『大日本地名辞書』は全国に亙っている。

『大日本地名辞書』完成に十三年間を費やしていて、平均すると一日五枚か六枚(四百字詰め)書かなくてはならない。かけるだろうかと思うわけです。

井上…興に乗って小説を書くなら分かりますが、資料がきちっと引いてありますから。

谷川…三六五日十二年間、 一日も休むことなくよく書けたものだと思います。そこが最大の謎です。原稿は書き直しが多いですか。

渡辺…いいえ、ほとんど一気呵成に書き上げています。文章の入れ替えは多いようです。辞書に必要な資料ですが、その三分の一は希書に属するもので、当時の地理局であるとか、帝国大学図書館であるとかに入っていたものです。

谷川…資料をまず入手しなくてはならない。その資料を読まなくてはならない。それを咀嚼し、消化して、それに判断を加えないと単なる引き写しになってしまう。それから選別して自分で黒白をつけ、真偽を判定する。これを独力でなしとげた。断案に断案です。

それが天才のゆえんです。

渡辺…地名辞書の考証に用いられる素材、引用文献を見て、気がつくことは、原典を思実に写したものと彼独特の訳文があります。後者の方が結構多いのです。それは東伍の記憶と谷川さんがおっしゃった断案によったものでしょう。彼は冗漫を嫌いますから、咀嚼するのです。もしかするとどこからか拝借したものと受け取られかねない引用の仕方をする。それが彼の方法です。抜群の記憶力と咀嚼力で書き上げたといっていいのではないでしょうか。現在出ている辞典には絶対まねできない。

 

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『大日本地名辞書』第二版(合冊本)の内容見本

 

 

 

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