軒先・螻羽は建物外壁に水直方向に野地板を並べればよいが、隅が問題となる。隅の野地板を支える方法として、3種類の形態がある。第一は野地板を隅扇状に配置する場合で、板厚は1〜2寸の厚板となる。第二に隅の部分のみ角材を母屋状に置き、野地板を置く場合、第三は螻羽部分全てに角材を母屋状に配置する場合である。後者2タイプの板厚は、前者に比べ薄くなっている。これら何れの場合でも方杖は、軒先や螻羽の野地板を先端で支える出桁を支える。出桁は方杖だけでなく、角材によっても支えられている。
「大野蔵」の方杖には木製、金属製の2種類があり、調査160棟中木製が139棟、金属製が21棟で、木製が主流となる。この方杖は、大野地方では「ベヤヅイ」、「ビンヅエ」とよばれ、軒先の補強のために用いられている。方杖は妻面及び桁面の両面に取付き、妻面では半間間隔に桁面では1間間隔に取付くのが一般的で、軒先の出桁等を支えている。方杖は、根元では壁内部の柱に固定され金具で壁面に留められ、上部では出桁に突き刺さる。
(2) 「大野蔵」の建築年代
「大野蔵」が何時頃から建設されるようになったかは現在のところ明らかではない。しかし、聞き取り調査によって蔵の建設年代は明治21年の火災まで遡るものが4棟確認できる。また、布川家の西蔵は現在方杖が撤去されているが、壁面に方杖を取付ける金物や方杖部材の切れ端が残っている。この蔵は言い伝えによると、200年以上前の建物で、移築されたものであるという。この言い伝えは部材の風化状態や内装部材の番付けなどから間違いないと思われるが、この蔵の方杖が建設当初からあったものとすれば、江戸時代後期から方杖の蔵が大野にあったことになる。また、方杖は見当たらないが嘉永3年の蔵造作記録には「出しけた 8本」「くれ七拾八束半」の記述がみえ、板葺きに出し桁が存在していることがわかり、大野蔵の存在を窺わせる。一方、「大野蔵」は昭和30年まで建設されていたことが、久保家や鳥山家の蔵によって確かめられる。