御神体・本尊はその所在が不明な2件を除き、すべてが川西地区で管理・保管、その中でも9件はなくなったそれぞれの神社・堂と同じ集落で管理されている。(例えば、大倉集落の薬師堂の石像は、大倉集落の公民館に所蔵というようなこと。以下、同集落で管理と表現する。)管理は、個人が行っている場合と公民館や集落センターなどの公共施設で管理される場合、他の神社・堂に入れられる場合が見受けられる。個人管理と他神社・堂の管理の場合は同集落内で管理される。公共施設での管理の場合は同集落内外での管理、両方の形態が見られる。
以上、仙田の神社、堂の現状について説明した。その内、社寺の建築年代が確実にわかるものだけで見ると、1800年代に多い。よって仙田地区の社寺建築は近世から近代のものであるので、現段階では近世社寺建築として扱っていく。
1)平面形式による分類
仙田地区の神社の平面形式を室数によって3つに分類した。
*形式I:社殿を1室で構成
中仙田渋海社、田戸十二社
*形式II:社殿を2室で構成
小白倉十二社、大白倉十二社、岩瀬十二社、赤谷十二社、中仙田諏訪社、室島八幡社、室島松苧社
*形式III:社殿を3室で構成
室島新浮海川本社、高倉高倉社、小脇十二社
仙田地区の堂の平面形式も室数によって2つに分類した。
*形式I:堂を1室で構成
室島木股地蔵尊、小脇地蔵堂、小脇不動堂、小脇観音堂
*形式II:堂を2室で構成
高倉阿弥陀堂
室島松林山相国寺について、その規模が大きく分類の対象とはしなかった。
平面の分類をおこなってわかったことは神社の場合、仙田地区の社寺建築で形式Iにあてはまるものが明治以降の比較的年代の新しい建築だということである。また堂の建築もほとんどがこの形式になることがわかった。しかし、あくまでもそれは仙田地区の社寺建築の傾向であって、他の地域にも通じるとは限らない。よって今後は仙田地区以外の社寺建築を調査し、比較することが必要となる。
2)文献資料による分類
平面形式による分類をおこなってみたが、これらが唯一の分類方法とは言い切れない。したがって別の方法も確認をしていく必要がある。その方法として考えられるのは次の2つがある。