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しかし、現状の解釈ならばそれでもいいが、将来起こるべき気候変動の予測を行おうするような目的では海洋の熱輸送の役割を正しく推定しなければならない。もちろん今までにも、海洋の熱輸送を求める試みが多くなされてきてはいる。しかし、研究者により、また方法により、得られた結果には大きなばらつきが存在するのが実状であった。比較的狭い、また多くの研究がなされていた大西洋だけをとってもこの事は示され、1990年頃までに得られている海洋観測資料が量、質の両面において十分でないことが分かり、これが1990年頃から1997年までに実行された気候変動予測のための国際共同研究計画WOCE(世界海洋循環実験)が計画・実行された大きな理由になっている。

上に述べたように、過去のデータにより種々の方法で推算された大西洋での南北熱輸送の推算値は大きくばらついているのであるが、ここで面白いのは、全ての方法・全ての研究者の結果で共通しているのは、南大西洋においての熱輸送の符号が北大西洋と同様にプラス、すなわち北向きと推定されていることである。なんと南大西洋では、海は熱を寒い極域から暖かい赤道域に運んでいるのである。何故このようなことが起こるのであろうか?全ての表層海洋循環で、高緯度へ向かう部分(太平洋の亜熱帯循環では黒潮の部分)の水温は、同じ流線上で比べれば、低緯度へ向かう部分(カリフォルニア海流の部分)よりもずっと高いため、全体として熱は極向きに運ばれる。これが、表層循環が低緯度から高緯度へ熱を運ぶメカニズムであり、南大西洋でも表層循環は低緯度から高緯度へ熱を運んでいる。
問題は深層循環の役割である。世界で重く冷たい深層水を作り出しているのは、北大西洋の北部と南極のウェッデル海周辺だけである。北太平洋北部で沈降した深層水は南下して、赤道を越え、ウェッデル海での深層水を加えて太平洋やインド洋に向かっていく。北大西洋では、冷たい深層水が南へ、それにともなって暖かい表層水が北へ運ばれる。したがって、深層循環も低緯度から高緯度へ効率よく熱を運ぶ。しかし、深層循環を考えると、南大西洋でも冷たい深層水が南へ、暖かい表層水が北へと運ばれるから、熱は北へ、すなわち高緯度から低緯度へ運ばれることになる。そうして、この深層循環の担う熱輸送が、表層循環の担うものより大きいために、南大西洋は一見不可思議な働きをすることになるのである。深層循環にともなう流速は非常に小さい(1cm/s以下)が、深層流の幅と厚さは、表層流に比べて格段に大きいため、大量の熱を運ぶのである。南北熱輸送は地球の気候システムを維持する大きな要因であるから、気候問題に関連する海洋研究においては微弱な深層流を正確に把握する必要があり、これが海洋研究の難しさであり、WOCEの計画策定に10年にわたる検討を必要とした一因である。

推定の1つの方法として、インバース法と呼ばれるものがある。これは、海洋中の水温・塩分の場の観測値をもとに、そのような場が生じるためにはどのような流れの場がなければならないかを計算し、それから熱輸送を推定するものである。しかし、過去の資料を用いた結果では、最大推定値と最小推定値の間には非常に大きな差が現れる。これはWOCE計画時に利用できた海洋観測資料では観測密度・観測精度・データ精度の全ての面で不十分であるためである。そこでWOCE計画の基準観測線で要請された観測精度は、この最大推定値と最小推定値を近づかせるために必要十分なものとして設定された訳である。

 

 

 

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