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ヨーロッパ大陸が一大強国に支配されるのを防止するには、リムランド地帯の国々が共同してハートランドの勢力拡張を防ぐべきであると、マッキンダーの警句を修正し、「世界を制する者はハートランドを制するもの」でなく、「リムランドを制するものがユーラシアを制し、ユーラシアを制するものが世界を制す」と主張した(8)。

海洋国家アメリカはマハンの理論を旗印に大海軍を建造し、第1次世界大戦でドイツ、第2次世界大戦で日本とドイツを破り、世界第1の海軍国に成長し、その海洋力によって一時世界に君臨した。しかし、第2世界大戦が終わると大陸国家のソ連が台頭し、マッキンダーのハートランド理論は、ドイツの代わりにソ連が主人公となった他は予言どおり実現したかにみえた。ソ連は巨大な外向力をもって着々と内側三日月型地帯を勢力下に収め、その勢力はアフリカなどの外側三日月型地帯にも及んだ。ソ連は東欧を制してマッキンダーの警句の第1段を達成し、第2段の世界島の支配に乗り出し、ユーラシアのリムランドはアメリカの強力な支援がなければソ連の手に入りつつあった時に出現したのがスパイクマンの理論であり、それを実現したのが「ソ連封じ込め政策」であった。その後もソ連は一時的ではあったが、リムランドにある中国やアフガニスタンを影響下に収め、海洋超大国アメリカは力を失い、海洋一国支配の歴史に幕が閉じられたかに見えた。しかし、大陸国家ソ連は安価大量の物資を運び得る海洋国家、経済的には有無相通ずる国際分業と国際的自由貿易による相互依存関係で結び付く海洋国家群に対し、その地理的制約や専制的な大陸的な国家体制が災いして経済的に破綻してしまった。ソ連や東欧圏の崩壊はデモクラシー国家の勝利であり、経済的には自由経済制度の勝利であったが、地政学的には海洋国家の大陸国家に対する勝利でもあった。また、近世の歴史、少なくとも1500年以降の歴史は制海権の獲得に成功した国家が覇権を握り、覇権国家の変動はオランダ、スペイン、イギリス、アメリカと、シーパワーにかかわるパワーバランスの変化と連動してきたことを示している。現在、海上交通路(Sea Line of Communication)はシーレイン(Sea Lane)と呼称は変わったが、海洋を制した国家が世界を制するというマハンの理論に代わる理論は生まれていない。

 

3. 歴史から見た遺訓

 

次に大陸国家と海洋国家と日本はどのように関わってきたであろうか、また、今後いかに関わってゆくべきであろうか。この問題を歴史的に見てみたい。黒船の到来で始まった近代日本は、海洋国家と連携した時には繁栄の道を歩み、大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかった。すなわち開国早々の日本は海洋国家イギリスと同盟し、海洋国家アメリカの援助を受けて日露戦争に勝ち、海洋国イギリスの同盟国として第1次世界大戦をへて国際連盟を牛耳る五大国に成長した。しかし、日本が国家の基本である憲法をドイツ憲法を参考としたこと、国内政治に大きな影響を持つ陸軍がドイツに学んだこと、日露戦争で大陸に権益を保有してしまった歴史の皮肉などから、第1次大戦中に戦後の世界情勢を読み違えて、海洋国家イギリスとの同盟を形骸化してしまった。そして、1916年には大陸国家ロシアと事実上の軍事同盟(第4次日露協商)を、1918年には中国と日華共同防敵協定を結んでシベリアに出兵、さらに日中戦争から抜け出そうとして大陸国家ドイツと結んで、第2次世界大戦に引き込まれ、海洋国家イギリス・アメリカを敵として敗北してしまった。しかし、第2次大戦後に海洋国アメリカと締結した日米安保条約で平和を保障され空前の発展を遂げた。

一方、日本は大陸国家の中国に対して長期にわたり中国文化を受け入れたが、自国に必要なものしか取り入れず、さらに「日本化」するなど一定の距離を保ち、歴史的にも文化的にも中国を中心とした「華夷体制」の外側にあった。中国を師と仰いで遣唐使や遣随使を派遣し、足利幕府の3代将軍義満の時代には一時に「臣下の礼」をとったことはあった。しかし、それ以外は海が天与の防壁となっていたため、聖徳太子以来、日本は「日出ずる所の天子、書を日の没する所の天子に致す。恙なきや」として、防人などの軍備を充実し「離れず近づかず」の距離を置き、対等な関係を維持してきた。中国との貿易も朝貢貿易には従わず、拒否されれば海賊に変身する「倭寇」という変則的な貿易で押し通し、中国に対しては対等な隣人、時には挑戦者で通してきた。

 

 

 

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