日本財団 図書館


特に中国はこの傾向が強く、自国文化への優越感から周囲の民族を「東夷」、「西戒」、「南蛮」、「北狄」と位置付け、周囲の国々と対等の国際関係を維持したことはなかった。中国は周囲の国々を「臣下の礼」をとる半独立国として、「華夷秩序」に基づく自国を中心とするピラミッド型の従属的関係しか認めなかった。このような世界観から中国の平和観はBalance of Powerの平和ではなく、中国の覇権下の「王道文化」に浴する「華夷体制」の平和観であり、貿易は朝貢貿易体制であったが、このような傾向は大陸民族特有のもので、旧ソ連邦時代のロシア人も共産主義を世界随一の政治体制と自負し、世界各地に共産主義国家を建設しようと進出していた。また、中国人は自国文化に対する優越感から、優れた中国の文化を遅れた異民族に浸透させ、文化的に同化し、中国的生活圏を拡大せることが中国人の使命であり、周辺の文化的に劣る異民族もこれを歓迎するはずと考えていたため、近世に至るまで国境の概念がなく、中国が最初に国境を認めたのは1689年に締結されたネルチンクス条約であった(2)。

さらに、大陸国家にとって国土の広さや資源の有無などは、国土防衛上のみならず、国家の生存発展のためにも不可欠であり、第2次大戦前のドイツやソ連は自給自足を求めようと、他国を侵略したが、中国もこの大陸国家特有の領土欲から東トルキスタン人民共和国(新彊)、蒙古人民共和国(内蒙古)やチベットなど、歴史的に中国領土ではなかった地域を併合し、西沙や東沙諸島を武力で占領しただけでなく、現在も台湾の解放や尖閣列島の領有を主張している。

さらに、科学技術の発展により海洋資源の開発の可能性が高まると、かつてヒトラー(Adolf Hitler)がポーランド併合の根拠とした「国家は生きた組織体であり、必要なエネルギーを与え続けなければ死滅する。国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは成長する国家の正当な権利である(3)」というハウスフォハー(Karl Haus-hofer)の「生存圏(レーベンスラウム-Lebensraum)」思想に極めて類似した理論を海洋に適用し、アジアの海洋の現状維持に不安定要因を加えている。すなわち、1987年4月3日の『解放軍報』に徐光裕(Xu Gung-Yu)の「合理的な3次元的戦略国境の追求(4)」という論文が掲載されているが、その論文は「戦略国境は国家と民族の生存空間である。戦略国境を追求することは国家の安全と発展を保証する上で極めて重要である。総合的国力の変化にともない戦略的国境線の範囲は変動するものであり、..........陸地、海洋、宇宙空間から深海に至るこれら三次元的空間は安全空間、生存空間、科学技術空間、経済活動空間として中国の安全と順調な発展を保証する戦略的国境の広がりを示すもので、国益はその拡張された勢力圏の前線まで拡大されており、戦略的には国境線の拡大を意味する」と、海洋正面及び宇宙空間、海底の三正面の「戦略国境」を拡大すべきであると主張している。

また、見落とせないのが大陸国家特有の自己正義観と清帝国の領域を中国領とする「帝国」的独特の領土に対する歴史認識で、中国軍事科学院が編纂した『第二次世界大戦後 戦争全史』には、「チベットは中華人民共和国の神聖な領土の山部である」。進駐した人民解放軍は「真剣に『三大規律八項注意』を実行し、広汎なチベット族人民の支持と熱情あふれる歓迎を受けた」。が、しかし、「チベット上層部反動集団が反革命武装反乱を起こしたので鎮圧した」と、チベット併合軍事作戦を「反乱平定作戦」と記している。また、1975年のベトナム領内への進攻作戦は、「祖国の国境を守るためにベトナムの地域的覇権主義に対して自衛反撃作戦を行った」。この戦争によって「ベトナム侵略者を処罰する目的を達し、それは中国人民解放軍の歴史上に壮麗な一章を加えた」と「自衛反撃作戦」と命名している(5)。

次に海洋民族と大陸民族の相違を比較すると、海洋民族の社会体制や政治姿勢は海洋が天然の城壁の役割を果たし、他国の侵路を受けることも少なく、さらに第3国の領土を経由することなく比較的自由に外国と交易し、必要な物資や文化を導入してきたためか、国家としての社会システムや思想は開放的で、自由主義的となる傾向が強く、兵制は船を操るには特別の知識と体験を必要とするところから志願兵制度を取り、海軍を重視する国が多い。また、海洋国は海上交通路を維持し制海権を握っていれば貿易によって国家の発展生存に必要な資源を取得することができるため、国際関係は相互に立場を認め平等視する水平的な関係である場合が多い。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION