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当時、野の鳥を捕ったり、飼ったり、撃ったり、食べたりするのが、社会一般の風潮であった。これに対して野の鳥を自然にあるがままに親しもうと、1934年に創設者中西悟堂によって日本野鳥の会が設立された。この考えは、野鳥が第一次産業に有益であるというよりは、むしろ野鳥や自然に対する感性的な関わりを指向したものである。

日本の自然環境は、戦後復興の経済優先政策によって大規模に荒廃していった。それにともない、野鳥の生息地が急速に失われていった。そのため、野鳥を守るにはまずその生息地である自然を守るという考え方が発展し、自然保護の考え方の重要な柱の一つとなっていった。そうした中で保護の活動を強化するために、日本野鳥の会は財団化され、社会的な役割をより強く担う組織へとなったのである。

相次ぐ大規模開発計画などにより生活環境の悪化は人体への脅威とさえなり、公害や自然破壊が顕著となった。1970年頃から深刻な公害を契機として環境全般に対する関心が高まり、一般市民の参加する自然保護が芽生えた。学術的な価値は少なくとも、人間の生存に基本的に必要な環境として身近な自然を守ろうとする考え方が強まっていった。身近な環境問題としての自然保護の声は、自然破壊に対応してますます大きくなっていった。

さらに1970年代のエコロジー運動の世界的な展開の中で、身近な問題から発展してより包括的な環境という共通の認識と理解がもたれるようになった。一方、宇宙から人間が初めて見た「ひとつの地球」を実感し、「かけがえのない地球」の世界的なコンセンサスも得られていった。つまり、自然保護から身近な環境問題、さらに地球規模での環境問題まで相互に関連しているという認識のもとで、自然と人間との関係をいかにより良いレベルで保つかという意識が不可欠となっていったのである。

野鳥も人も「ひとつの地球」の仲間なのである。この考え方は、日本野鳥の会の創設当時の精神に通ずるもので、今日の保護運動の根底に受け継がれ、地球環境時代の自然保護の考え方として顕在化したものと考えられる。すなわち、人間と自然の長い関わりの歴史が形成した一体感を基礎に、地球規模の視点を持ちつつ人間を主体として判断し、自然と人間とが一体となって共存できる豊かな環境づくりを目指す考え方が、21世紀を越えて続けられるのであろう。

 

 

 

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