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山田耕筰「あやめ」

 1930年秋、山田耕筰(1886〜1965)は、旧知のジャーナリスト、パーシー・ノエルを介し、フランス人興行師、ミッシェル・ブノアから、新内や歌舞伎でおなじみの「明烏」に基づく1幕物オペラの委嘱を受けた。ブノアは、彼の名を冠したオペラ・バレエ団の大規模な公演を、1931年6月、パリのピギャール座で予定していた。その内容は、1幕物のオペラとバレエを対にして3つのプログラムを週替わりで連続公演するというもので、山田の新作オペラは、その3週目のプログラムに、グレートリーの音楽によるバレエ「2人のけち」と抱き合わされることになっていた。台本は、ノエルが英語で既に書き下ろし済みだった。
  この仕事のため、山田は、1931年2月12日に東京を出発、3月3日にパリに到着し、それから作曲にかかって、スコアは5月6日に完成した。タイトルは、ヒロイン名をとり、「あやめ」とされ(*原作の「明烏」のヒロインの名は浦里なのだが、響きが悪いというので、あやめに変えられた)、歌に劣らずバレエ・パントマイムが重視された台本と音楽ゆえ、オペラ・バレエと添え書きされた。そして、練習も順調に進んだ。が、土壇場でハプニングが起きた。1週目の公演が終わったところで、興行主のブノアが資金繰りに詰まり、2週目以後は中止となったのだ。



 

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