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知的障害者福祉研究報告書
平成8年度調査報告


第1章 わが国のグループホーム制度とその動向

1 グループホーム制度の制定以前の動き

わが国においてグループホームに類する生活共同体の萌芽は、昭和30年代に民間の手によってその設置と運営の試みが始まる。施設でも家庭でもなく、知的障害者の小規模な生活共同体としてわが国で最も古いものは、昭和38年3月に愛知県の瀬戸市に作られた「はちのす寮」と言われている。その後、昭和40年代に入り、滋賀県信楽町に作られた「民間下宿」は小規模な住宅の暮らしを広く社会に紹介し、知的障害者の町の中の生活のあり方について多くの示唆を与えるものとなった。

地域における小規模な生活共同体の名称は、今日の「グループホーム」という名称の他にも「生活寮」「小規模住宅」「共同住宅」「生活ホーム」「民間生活ホーム」「家庭寮」「自立ホーム」「社会参加推進ホーム」「通勤ホーム」「専用下宿ケア付き住宅」「通勤寮」「ミニ通勤寮」「福祉寮」「生活通勤寮」「民間下宿」「福祉ホーム」など、歴史的な施策の背景の中でさまざまな名称が現在も用いられている。

それらの中でも「通勤寮」は、就労関連対策として昭和46年(1971年)12月に厚生事務次官通知「精神薄弱者通勤寮設置運営要綱」により、国の制度として設置されたものである。その目的は、精神薄弱者援護施設等を退所した「就労している精神薄弱者を職場に通勤させながら一定期間(原則として2年間)入所させて、対人関係の調整、余暇の活用、健康管理等独立自活に必要な事項の指導を行うことにより、入所者の社会適応能力を向上させ、精神薄弱者の円滑な社会復帰を図る」と示されている。

通勤寮の設置及び経営主体は、都道府県、市町村、または関連施設を持つ社会福祉法人とされ、入所定員は20名、一室の定員は2名から4名というものである。通勤寮は法律が作られた10年後の昭和56年(1981年)には全国に68カ所、16年後の昭和62年(1987年)には全国に95カ所にまで増加する。しかし、実際に一定期間で自立生活へと巣立っていける人たちは少なく、通勤寮は入所者の滞留化の問題が起きてくる。

昭和53年(1978年)8月、東京都は通勤寮生の地域の受け皿として、「生活寮」の制度を創設した。また、同年10月では神奈川県が「ミニ通勤寮」(現在の「生活ホーム」)制度を創設した。東京都、神奈川県の先駆的単独事業創設に呼応して、静岡県や滋賀県等でも類似の制度が生まれることとなり、その後も全国で実態は先行していったが、自治体の取り組みは必ずしも順調には進まなかった。

その後、国は「福祉ホーム」を昭和54年(1979年)に厚生事務次官通知「精神薄弱者福祉ホーム設置運営要綱」によって、新たに国の制度として設置することとなった。
その目的は「就労している精神薄弱者であって、家庭環境、住宅事情等の理由により、現に住居を求めているものに独立した生活を営むために利用させ、就労に必要な日常生活の安定を確保し、もって社会参加の助長を図る」と示されている。

設置及び経営主体は地方公共団体又は社会福祉法人で、入所定員はおおむね10名、居室は個室になっている。福祉ホームを利用する人の条件は日常生活について介助等が必要とされない程度に生活習慣が確立し、継続して就労できることが条件となるものである。「福祉ホーム」の生活費等は利用者の自己負担となり、利用期間の制限がないことが通勤寮とは異なる。

「福祉ホーム」は、その対象となる人が就労し、かつ生活が完全に独立自活できる人であることが条件となるために、現実には地域の対象者もそれほど多くはなく、独立自活した10人が1カ所に集まって生活するという形態も必ずしも望ましいものとは考えられていかなかったことから、制度化されて8年を経た昭和62年度(1987年)末においても全国で28カ所という状況で、16年を経た平成7年(1995年)10月の時点でも、全国で58か所の設置となっている。

昭和54・55年(1979・1980)に厚生省心身障害研究(主任研究者 妹尾正)の中で、小規模住居の実態と課題についての報告がなされた。報告者である皆川正治氏は、全国ですでに報告されているものと計画中のものを含めれば、これらが100カ所近いものに推計されると報告している。
地域における小規模な生活共同体の初期のものは、対象を就労している人に限定していた形をとっている。この報告書の中でも「仕事を持つという条件は、将来これら小規模住居に重度者あるいは身体障害のある精神薄弱者が生活することになっても、必要条件とすべきである」という記述がなされている。
しかし、国際障害者年(昭和56年:1981年)の前後には居住者に必ずしも就労を条件としないものが東京都内のいくつかの区で制度化され、神奈川県や東京都においても制度の改革によってその対象を広げていく動きが起こったことから、こうした先駆的実践は就労援助の形から地域生活援助の形へと実態が動いていくことになる。

昭和62年(1987年)、国連障害者の10年の中間年を期に策定された「『障害者対策に関する長期計画』後期重点施策」において、「地域で自立的に生活する精神薄弱者や精神障害者への援助体制を整備すること」とがうたわれた。

厚生省は、心身障害研究の中で昭和53・54年度(1978・1979年)の「精神薄弱者のコミュニティ・ケア〜福祉ホーム等小規模住居の実態と課題について〜」を初めに、昭和60・61年度(1985・1986年)「障害児家庭養育機能に関する研究(生活寮〜グループホームに関する実態調査及び考察)」では国のグループホームの実態調査が行われ、昭和62年度(1987年)「障害者の地域生活援助方法の開発に関する研究」(主任研究者 高橋孝文)の中で「障害者の地域生活援助方法の開発に関する研究」(分担研究者 廣瀬貴一)の報告がなされた。

全日本精神薄弱者育成会(現在:全日本手をつなぐ育成会)が昭和63年(1988年)7月に行った調査によれば、小規模な生活共同体としての生活の場の形態をとるものは、全国で346カ所が設置・運営されていると報告している。
この中には国の福祉ホーム32か所が含まれている。都道府県別及び年次推移は次頁の表の通りである。

昭和63年(1988年)10月24日、中央児童福祉審議会(大山正委員長、中村健二精神薄弱児(者)対策部会長)は、グループホームの制度化について厚生大臣(藤本孝雄)宛に意見具申を行った。
その中では、政府の障害者対策推進本部が昭和62年6月に定めた「『障害者対策に関する長期計画』後期重点施策」を行う上で、精神薄弱者の地域福祉を充実させるための具体的施策の柱として「精神薄弱者の居住の場の在り方について−グループホーム制度の創設への提言」があり、グループホーム制度の確立を強く求めた。
それは、地域福祉の充実は「精神薄弱者は施設でなく、地域に住むべきである」と決めつけることではなく、本人の意思に基づいた選択の幅を広げることであるとし、反面では地域で生活するための諸条件が十分に整備されていない現状であることから、国としてこの事業を積極的に推進する必要があることを提言した。








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