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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第1章 スウェーデン調査

2. インタビュー

11月18日(土)
ウプサラ大学にてシェボー(Lars Kebbon)教授(心理学)インタビュー内容(一部)

地域で障害者が生活をするためには新援護法では少し心配な部分があった。そのためにLSSは不足している部分を強化し、さらにコミューンの役割を明確にしていった。以前との大きな違いは、措置のように国が障害者のサービスを決めコミューンがそれを実行するのではなく、本人が地域で生活するために必要な要求してもらい、それをコミューンが提供する形になったことである。

Q. 要求するために国が何か保証していることはあるのか?
本人が要求してもコミューンが実行しない(できない)場合、直接裁判所に訴えることができる。

Q. 裁判所が命令してもコミューンは何も資源がないためにできない場合は?
そのこと(を解決すること)がこの法律(LSS)の目標と合致するものである。コミューンにお金がないためにできないこと、本人が要求を言えるか言えないかの問題はある。スウェーデンの人は訴訟は好まない傾向にあるが、それを勇気づけていくことが大切と考える。いままでのように国が何でもしてしまうのではなく、コミューンが障害者の人たちを支える方法を考えていくことが大切なこととなる。

Q. それは地域のいろいろな運動の成果があったから法律ができたのではないか?
基本的にはその通りだ。障害者の全国組織が大きくなり、いろいろな難しい問題が出てきたことも原因となっている。

Q. 法律ができてから新しい動きはあったのか? 訴訟はどのくらいあるのか?
訴訟の数は知らない。しかし、知的障害者であっても自分のことは自分で守らなくてはならないということ、要求できることがはっきりしたことは事実だ。

Q. どういうことが具体的に裁判所に訴えられるのか?
典型的な例は、両親と一緒に住んでいる障害者がいたとします。その人が家族は面倒をみれないから自分で暮らしたいというような場合です。しかし、独立する権利はあるけれども、両親と一緒に暮らした方が良いと言う場合もある。

Q. 裁判所が彼の主張をなかなか認めない場合は?
たぶん、彼はマスコミに訴えるだろう。世論が喚起されることにより問題は解決に進むことになる。

専門家が何を学んだかと言えば、障害者と向き合うことを学んだと言える。障害者から学ぶという姿勢ができたことだ。

11月22日(水)
ストックホルム市発達障害児者地域援護局のラルス モランデル(Lars Molande)氏へのインタビュー

◇ストックホルム市の現状
ストックホルム市の人口は150万人。国全体の1/6がここに居住する。ストックホルム市を5分割すると、1つの単位が30万人。知的障害者の構成を0.3%とすると、1つの単位(コミューン)に1,500人がいることになる。
30万人に1,500人という単位で、一つの委員会を置いている。委員会には政治家、行政官、学者等々、さまざまなメンバーで構成されている。5つの委員会に対し、全体を1つの中央機関が方向性を取りまとめている。全体の仕事の80〜85%は各コミューンに移行している。
現在、知的障害者の80〜85%の人はコミューンのレベルに移行し、学校、グループホーム、デイセンター、フォスターホーム、ショートステイ等の整備が行われている。
しかし、15〜20%の人は現在もなお入所施設に残っているが、今世紀の終わりには全てが終了する予定である。県の人間はこれから施設を出ていく人を知っており、コミューンの担当者は住む所を知っているので、緊密な関係を保ちながら計画を進めている。

◇グループホームについて
1960年代にグループホームはスタートした。当初は10〜12〜14人という人数から始まり、大きな家か、建物の1フロアを使って住んでいた。その頃は、構成メンバーは性別に分けられ、寝室も複数で使用していた。
1970〜85年には、個人の部屋が大きくなり、個室化され、性で分けない形に進んでいく。これには住宅政策(BOUERKET)の役割がある。老人および障害者には1ルーム+キッチン、または1/2の大きさの部屋+納戸+キッチンにバスルーム+トイレを付けて面積は40?u程度が用意された。
最も新しい形では、1つのアパートの中に障害者の人(一人住まい)や同棲している人たちが普通の人たちと一緒に住んでおり、一角にサービスを担当するスタッフの部屋やオフィスがある。スタッフのオフィスには、居間・台所・スタッフの部屋があり、必要な時にスタッフのサポートが受けられるようになっている。
この政策は30年間ぐらいの期間で変化してきた。しかしながら、重度の知的障害者の人や精神障害を伴っている人、夜眠らない人などは別な方法で住んでいる。例えば、拾い面積の土地に小さな家を用意して、土地の周囲に樹木を置き、茂みなども工夫してコミュニティにとけ込むようにしている。
知的障害をもつ人へのサービスの特徴は“一人一人のパーソナルサポートであること”である。県が行っているハビリテーションセンターに居るソーシャルワーカー、心理学者、PT・OT・STなどの専門家も10年後は15ヶ所の地区に全て整備される。
1994年1月1日から1995年12月31日までに、2年間で市に移管される。他の県では遅い所もある。99%の仕事はコミューンのスタッフに仕事が移行している。プライベートなグループホームには個別に交渉に当たっている。(非常に少ない)
県はグループホームの募集広告を出した。2年前に、年に19万クローネのお金を提供するとPRした。現在は20万クローネ(約300万円)になっている。

◇コンタクトパーソンについて
コンタクトパーソンは2つの意味がある。1つは担当者の意味。決め方はスタッフが合議制で選出し、交代も可能にしている。本人の主張も可能である。
もう一つの意味は、孤独な人が多いので(周りには親戚、スタッフ、仲間、同じ障害者しかいない)、興味を満たしてくれる人がいない。趣味や年齢が同じで共有できる人がこれにあたる。
親の会の運動で進んでいったFUBが、一度テレビでコンタクトパーソンを募集したら、8,000人の人たちが応募してきた。これには振り分ける作業がたいへんだったため、今は広告を出していない。(2〜3年前に1回したのみ)友人兼アドバイザーとして本人と付き合ってもらう。月に200クローネ(3,000円)ぐらい費用を貰っている。

◇グッドマン(代理人)について
グッドマンは裁判所が任命する。法律上のことや経済的なこと、障害者の自立のための助言、治療上の助言、財産管理などを行う。但し、グッドマンは助言のみであって強制はできない。資格ではない。ソーシャルワーカーが選ぶが、親戚の人とか、普通の人からも選べる。親戚の人は本人を良く知っているが、口やかましい。普通の人だと本人のことは詳しく知らないが、標準的な考え方をする。少ないお金をもらう。金額は裁判所が決める。
仮に100万クローネが本人にあると、フォルバルタレ(後見人)が必要になる。この人は、例えば遺産として工場があれば、その運営をまかされるが、彼に入ったお金には口は出せない。昔あった禁治産に対する後見人的な立場の人については制度がなくなった。
これらはすべて地方裁判所が決める。主に民法的なことにあたる。知的障害者の全員はもてない。将来はみんながこれを持つことがゴールと考えている。

◇就労について
最初の頃のデイセンターは、大きな形で30〜40人の人たちがいて単純な仕事、例えばクリップ作りなどをして、生産第一に考えていた。1957年から1995年に至る間に、デイセンターは3〜5人の小グループ化に移っていった。
また、活動の考え方も生産第一ではなく、Personal Development(個人の発達)を中心に、才能重視の形に変化していった。大集団の中では人は機械になってしまう反省があった。小さなグループの活動の例としては、会社の中、公園の仕事、レストランなどがある。
現在、70〜75%の知的障害者はデイセンターに通っている。3〜5%は企業に勤め、サムハル(SAMHALL:保護雇用)に3〜5%が通っている。企業に勤めた場合は、月に9,600〜12,000クローネ(14〜18万円)の給与を受けている。サムハルの人は月に8,000〜10,000クローネ(12〜15万円)の収入がある。デイセンターの給与は、“勇気づけ”の給与と言ってよい。日額30クローネで、月に900クローネ(13,500円)ぐらい、この場合は年金が満額入る。

<補足>
現在、スウェーデンの失業率は10〜11%である。過去は1〜2%であった。しかし、このことが知的障害の人たちの仕事を圧迫するとは私は考えない。缶をつぶす仕事など、頭を使えばいろいろな仕事があるものだ。

11月23日(木)
ウプラサ大学 施設カールスルンド解体プロジェクトの地域生活・デイセンター担当ケント エーリックソン氏(Kent O. Ericsson、心理学)インタビュー
ストックホルム アマランタンホテルにて

Q. コミューンに責任が移って変化は?
コミューンに移ったことはたいへん良い。コミューンはたいへん良くやっている。

Q. 専門家はうまく移行したのか?
知的障害の専門家だけに頼るのではなく、地域には心理学者もソーシャルケースワーカーもいる。今までは、彼らが知的障害者に携わっていなかっただけで、そこを利用すれば良い。

Q. コミューンにはお金が無いから、あまりスペシャリストは財源の問題で雇えないのではないか?
一般の人たちも求めている専門家だから、大丈夫だろう。私はポジティブに考えているが未来的にはどうなるかわからない。

Q. 県に雇われていた専門家は、コミューンに雇われたのか?
地域によって違う。

Q. 親からそのことに対して不安の声は?
みんながスペシャリストを必要としているわけではないから、それ程スペシャリストに焦点が当たったことはない。日本人はスペシャリストにこだわりすぎ。普通の人々がサポートをしていけば良い。

Q. 問題行動がある人の場合、特別な補助が出るのか?
それはある。

Q. 困ったコミューン同士が助け合ったりするのか?
これからはあるかもしれない。

Q. コミューンの貧富の差の問題は?
コミューンもそうだったが、県もそうだった。それは現実の問題だから、やってみるしかない。コミューンが実際にやった方がいろいろな点でわかりやすい。例えば、他のコミューンとの比較もしやすい。悪いコミューンは知的障害者に対してだけでなく、すべてのサービスが悪いはずだ。それはしょうがない。

Q. でも、それでは当事者から不満の声が上がるのでは? 政府が何らかのサポートをしないのか?
昔県がやっていた時はFUBが文句を言っていた。コミューンに対しても同じだし、裁判だって起こせる。

Q. カールスルンド解体が終わった時の気持ちは?
とてもうれしかった。政治的にポリシーを決めてくれ、お金もくれて、計画も立てられた。彼らが街に出て、ずっと今までよりは良い暮らしができるようになった。本当にうれしかった。

Q. 自分がグループホームに移ることを認識できない知的障害者はどう反応したのか? そして、どう教えたのか?
議論しつくして自分たちはやった。その上で、絵や写真、実際にその場に連れていくことで彼らに伝えていった。

Q. 彼らは今、満足しているか?
私はグループホームに移った彼らの調査もしたが、だいたいにおいて満足している。

Q. コンタクトパーソンの捜し方は?
地域で、人と人とのつき合いの中で捜していくのが一番。
コンタクトパーソンはうまくいかないこともある。

Q. それができれば苦労しないのでは、だから法で定めたのでは?
お金や法律で友達を作る、そのことは私はおかしいと思う。友達を金で作る、グループホームを金で作る、地域で暮らすということはそういうことではない。普通のことなのだから、スタッフも地域にとけ込んで、地域の人たちもグループホームに来てくれるような、そういうことをやっていかなければいけない。コンタクトパーソンというのはプロセスに過ぎない。

Q. デイセンターは昔の作業所とは違うのか?
昔は単純作業をやるということだった。それが70年代。ところが重度の人が来て、それは息詰まった。それと、社会的に何をしているんだと、イデオロギー的にも問題化していって分裂していき、今のような形へ移行した。大きい施設が解体して街にとけ込んでいったように、デイセンターも分裂して特色をそれぞれ持って街にとけ込んでいった。

Q. 寝たきりの人まで何故デイセンターに行くのか?
そういう人たちこそ、そういう所が必要なのだ。なにも仕事ができないからといってデイセンターに行かないのではなく、デイセンターでマッサージやその他、ドキドキするような体験をすれば良い。でも施設の中でそれをしていたのでは、職員も疲れるし、グループホームとデイセンターなら、それぞれの職員にも余裕が生まれる。例外はない。そういう人たちもそういう場所で成長していく。

Q. 知的障害者が身体障害者よりもサービスが上なのは何故か?
身体障害者は地域にいたから、あまり同情されなかった。知的障害者は施設で閉じこめられてとても苦労していた。それに対してみんなが同情してこうなっていった。今はサービスが良くなったので、それは緩んできた。

12月2日(土)
スカーラボイル県地域コーディネーター ハンス オーケ氏 インタビュー

Q. 改革を達成したパワーは?
施設を解体できるようになるという情報を数年前から私たちは得ていた。医療的なケアの権限が県からコミューンに移り、そういった一連の動きの中で知的障害者の行政も県からコミューンに変化していった。そういう意味で準備ができていた。
スカーラボルイ県のそれぞれのコミューンには、上からの命令がいっさいなかった。各コミューンに援助金が出て、法律の範囲内で自由にやりなさいと。そのために早くできた。

Q. スカーラボルイがその中で早かったわけは?
政治が決定した。施設の知的障害者はもっと人間らしい生活を得なければならないと。スカーラボルイの政治が(決定した)。ただ、ここだけでなく、他の地方も早かった。

Q. スカーラボルイとストックホルムの違いは?
ストックホルムはスカーラボルイと違って土地が高い。新しいグループホームの場所を捜すだけでたいへん。近所の反応、もし近所に来たら土地の値段が下がるのではないかという恐れ、それに地方分権が発達していなかった。
だから、それぞれに合わせたグループホームを作るということができなかった。1つのグループホームのモデルを作り、それをモデルにグループホームが量産された。
スカーラボルイとはグループホームの基準が違う。アパートにトイレや風呂も付いていなかったりする。財政的にも急がなければ予算が増大していくのでたいへんだった。

Q. 自然の豊かさ、それによる選択の多さが施設解体に与えた影響は?
施設を解体するとき、ヨハネスベルイに足を運び、職員と話し、知的障害者一人一人の細かいデータを集めた。親とも相談し、その上でプロジェクトを作った。いろいろな専門家を集め、彼にとって一番適切な場所はどこかを考えた。街の中、自然の豊かな所(とはいっても村の中だが)、いろいろなバラエティーに富んだ計画が立った。一人一人の状態に合わせた場所が。

Q. そういう選択が限られるからストックホルムは遅れているのか?
昔はそうかもしれないが、今はそうではない。
今はコミューンが責任をとらなければならいけない。
知的障害者本人と政治的な決定を行う機関、その距離を少なくすることはたいへん。そうでないと新しい動きはできない。それもスカーラボルイとストックホルムは違う。

Q. 万全の体制で取り組んだこの改革、3年経った今、どう変化しているのか?
最初に施設から出たとき、知的障害者は職員を必要としていた。しかし今は全然必要としない人も多い。結婚し、子供がいる人もいる。
2番目のグループ、施設の生活が長かったから、変わった行動が多かった。職員数も多く配置した。しかし環境が変わり、安心して生活ができるようになって、我々と変わらない生活ができるようになった。それによって彼らも変わり、職員の数も減った。
家が一番大切だとは言わないが、我々と同じ生活ができれば、自然と変わっていく。

Q. 自立し始めたということか?
例えば、デイセンターで料理の訓練をする。それは良くない。自分のアパートでやらないと不自然。家とデイセンターでは全く雰囲気が違う。

Q. アパート=家か?
施設の時代、知的障害者は状況が良くなると職員の少ない所へ移らなければならなかった。状況が重くなると、もっと鍵のかかった、さらにひどい施設に移らなければならなかった。今は移る必要はない。.今は必要に応じてケアを上げている。悪くなれば多くの職員が助けられるように配慮し、良くなれば職員が離れて彼は自立する。その人の状況に応じてケアを上げることが大切。

知的障害者は今も将来も障害を持っている。いつまでも彼が知的な障害を持っていることに変化はないのだから。我々はそれを受け入れなければならない。知的障害者と職員が働く時は、たとえ意見が違ってもやはりまとまらなくてはならない。そして、暖かい心で知的障害者を支えていかなければならない。精神的にそれはとても辛い。私たち行政は、そのことに対して気をつかわなければならない。教育、専門家のアドバイス。その上で職員はプロにならなくてはならない。この仕事に対してのプロに。

毎日同じ雰囲気で、毎日変化がない。毎日同じ知的障害者、毎日同じ職員。知的障害者が成長するときはうれしいけれど、変化がないとき、本当にがっかりしてしまう。その気持ちも行政が気づかなければならない。実際に変化した知的障害者のいるグループホームに行ったり、いろいろな形で学んでいくチャンスがあると良い。そういうネットワーク的に職員の交換が行えるといいな。

Q. また新たな問題が生まれるのか?
行政は職員を大切にしなければならない。本人に向かない仕事ならやめるしかないけれど、教育したり、いろいろな形でサポートしなければ。彼らは我々の財産、生きる補助器具。

Q. ヘーレネのグループホーム、彼らまでなぜ街に出そうと思ったか?
大学の研究者、ケースワーカー、心理学者、施設にいた職員、専門家が見て、彼らに発達する可能性があると思ったから。

Q. 閉鎖を決めた時に、ケネットもアンデシュもその中に含まれていたのか?
FUBも圧力を強くかけた。

Q. このスカーラボルイの美しい自然も財産ですか?
ケネット、フランク、アンデシュにとっては自然がとても大切。その中で自由を満喫することが大切。スカーラボルイのコミューン同士の競争もスカーラボルイの早さを生んだ。

Q. 最後のグループが街に出た時、どう思ったか?
ホッとしました。でも正直に言えば、不安を感じた。親の反対がとても強かった。どうなるのかと思った。私自身、ネガティブな考え方をしていた。でも、私と親の間にバルブロがいて、彼女は親とのパイプになってくれた。
今思うことは、やっぱり良かったのだと思う。そういう人たちさえ街に出て、自立した住まいに住み、彼らの成長を見ると、“勝ったんだ”と感じる。


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