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<折原地区での失敗から活動の方向転換>

・折原地区での失敗から、4haものトンボ公園を目指すのではなく、受け入れてもらえる地域に小さなトンボ公園を設けていき、地域の人に管理してもらうような方向性を模索することになる。

 

<映画、テレビ、全国シンポジウムなどにより知名度が上がり、会員増加>

・1991年から1992年にかけては、トンボ公園を舞台とする映画の製作、NHKでの紹介、寄居町での「第3回トンボ市民サミット」の開催によって、会の知名度が上がり、会員も増加した。また、風布で新しいトンボ公園の整備に着手。1993年には会員数が700名を超えた。

 

<作業参加者が少なく、会費滞納者が多く、活動が停滞>

・会員数は増え、トンボ公園も3箇所となったが、作業参加者は増えず、また、会員数の増加に伴い事務作業が増加し、ボランティアによる活動の停滞、限界を感じ始める。1993年には、作業参加者の増加を狙ってトンボ公園まつりを始めるが、状況は中々改善しなかった。

・事務作業の負担軽減から会費納入が滞っている会員200名の退会を選択せざるを得なくなった。

 

<議論の末金尾とんぼ公園の整備に着手、風布トンボ・ホタル公園は県道拡張にかかり閉園>

・1993年、地権者の申し出で、金尾に休耕田を借りられることになったが、作業参加者が増えない中で新にトンボ公園を増やすかどうか大いに議論された。結局、借りて整備することにした。

・1995年県道の拡幅工事に伴って、補償を得て風布トンボ・ホタル公園は立ち退くことになった。

 

<農業との連携と事業収入により自立する道の模索>

・活動の当初より、里の自然環境保全と農業との関わりを強く意識しており、1991年から別組織として「楽しく農業に触れ合う会」として稲作体験をしており、1993年には男衾の農業について話し合いの機会を持ち始める。

 

 

 

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