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(2)活動の経緯

 

ア. 設立の経緯

 

●1983年に新井裕(代表)が、以前からトンボや植物の観察のフィールドとして訪れていた寄居町に適当な住宅が見つかったので移住した。しかし、ふるさとのイメージを抱いていた当町の自然がゴルフ場などの大規模開発によって徐々に破壊されつつあることがわかった。

 

●そこで、新井は開発反対運動ではなく、自然の中で暮らす楽しさを伝える活動を行ないながら、自然を守る活動の輪を広げたいと考えた。ちょうどその頃、友人のトンボ愛好家である杉村光俊氏が高知県中村市でトンボ公園づくりの運動を始め、行政を巻き込んで「トンボ自然公園」をつくりあげたことを知り、寄居町でもトンボ公園づくりを行なうことを思い立った。

 

●まず、1987年10月に中村市でトンボ公園を作った「(社)トンボと自然を考える会」の関東支部を40名で設立し、寄居町にトンボ公園をつくることを決めた。当初、寄居町の会員は新井一人であり、地域の会員を増やそうとしたが、支部という位置づけなので、まず本部の会員になってもらわなければならないという煩わしさがあり、会員増が望めない状況であった。

 

●やはり、地元中心の団体を作る必要があると考え、「寄居町にトンボ公園を作る会」を設立する。この呼びかけに地元の7〜8名が応えてくれ、その人たちの口コミ、全国のトンボ仲間への呼びかけなどによって1989年3月12日の会の発足式には100名近い会員が集まる。

 

イ. 活動の経緯

 

●会の活動の経緯の主なポイントを整理すると、以下のようになる(表1-1-5)。

 

<モデル地区の整備>

・1989年の発足後、まず折原地区が最もトンボ公園にふさわしい場所と考え、4haのトンボ公園づくりを目指して休耕田を貸してくれる地権者を探し、提供者が見つかったが諸条件が整わず断念。代表宅のある末野地区でまず見本となるトンボ公園を作って、その良さをわかってもらおうということになり、地権者の理解を得て15aの「末野トンボ公園モデル地区」を整備する。

 

<本格的なトンボ公園づくりを目指し折原の寄居トンボ公園づくりに着手>

・1990年から91年にかけてマスコミの取材を受けたり、町でシンポジウムを開くなどして、会の活動の知名度が上がりつつあった。リゾート構想の重点整備地区で環境破壊の危険性が増してきた折原地区で4haの本格的なトンボ公園づくりを目指し、区長の了解を得て整備に着手した。しかし、了解を得ていない地権者の土地の一部に駐車場を整備してしまうなど失敗をして、地域にまだ受け入れられていないことを痛感する。

 

 

 

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