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4) 塩水渓谷

クチャからキジル千仏洞へ通ずる道を約20?進んだところにある。地球から押し出された様な岩石が重なりぶつかり合い前衛芸術の様な奇観である。道はこの中を渓谷に沿って走っている。渓谷には雪解けの時期以外ほとんど水が無く、塩が所々に白く吹き出している。

5) スバシ(蘇巴什)故城

クチャ市から北に約23?、天山南麓のチョルタク山の麓にありクチャ河の束西両岸にまたがって造られた仏教寺院跡(東寺、西寺)。造営は3世紀頃、玄奘三蔵法師の「大唐西域記」に昭怙釐(しょうこり)伽藍(大寺)として記されている。当時、約5,000人の僧がいたと言われる。11世紀頃まで繁栄し、後にイスラム勢力下に入ってから衰退した。

今回の調査団においてアクセスが容易である西区(西寺)を視察した(東区へは道路が無くクチャ河の河床と河を行くことになる)。西区は東西約170m、南北約685m、寺院、僧房跡などの崩れた日干しレンガの建物が累々と残っている。高さ約10mの城壁の一部も残り、約巾10mの城門跡がある。中央部に約24m四方の大殿の遺跡がある。その近くに前部の階段が崩れた高さ約20mの仏塔がある。裏から上がると上に、仏像が安置されていた場所があり四隅に太い材木の焦げた跡が残る。仏像を覆う木造の建物がありイスラム侵入の際、焼け落ちたとのこと。仏像も無い。仏塔の上から河向こうの東寺(東西約146?、南北約535m)が良く見渡せる。

20世紀初頭、大谷探検隊が大殿の近くで木製の舎利容器を発掘し、現在、東京国立博物館にある。

? 庫車―アクス(阿克蘇)間の砂漠の烽火台

ヤンダル(羊達庫都克吐爾)烽火台

クチャからアクスヘの道路の脇、砂漠の中に漢代の烽火台の烽火台。今は高さ約10mの基部が残っている。土を固めて建造する際、つなぎに中にタマリスクの小枝を使用している。

? アクス(阿克蘇)

アクス州の人口、59万人(77%ウイグル人)、アクス市は州の首都、人口は18万人。わずか100kmの距離に天山山脈が迫り、その最高峰のツゥオムル峰(7,433m)がある。アクは白、スは川を意味する。天山山脈からの豊富な水に恵まれ(多浪河)、米が特産品である。

? カシュガル(吐什)

新疆ウイグル自治区の西南部、タクラマカン砂漠の西端、パミール高原の北麓にある。カシュガル州(人口330万人)の首都。天山南路と西域南道が合流し、カラコルム山脈を越えてパキスタンヘ行く道(現代は中・パ公路)、パミール高原を越えて中央アジアヘ向かう道があった。2000年の昔からシルクロード・東西貿易の「十字路」として栄えた。玄奘もマルコポーロも当地を訪れている。人口約26万人中、70%がウイグル族、他は漢族、タジク、ウズべックなどの民族である。ウイグル族の「心の故郷」としても知られている。カシュガルは、ウイグル語で「玉の集まるところ」を意味する。海抜1,500mにある。前漢時代には西域36ヵ国の一つとして疏勒(そろく)国と呼ばれ、西域都護府の配下にあった。唐代には安西四鎮の一つとして都督府が置かれた。10世紀にカラ・ハン朝の拠点の一つとなり、トルコ人とイスラム教が流入した。のち、チャガタイ・ハン国の要地、明代にはカシュガル・ハン国の初期の首都となった。18世紀半ば清は遠征軍を派遣し、カシュガルを支配下に置

 

 

 

 

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