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さしくなってきました。このようなハード面の改善も勿論必要ですが、まず大切なことは、私達健常者の心中にある大きなバリアを取り除いて障害を持っている人や老人、子供と接することではないでしょうか。

私は、この訓練を通じて私の心の中にある大きなバリアに気づきました。障害者の立場に立って物事をとらえているか、真に彼らのためになるのかをもう一度自問しながら、防火上の安全について考えていきたいと思います。

同じ社会に共に生きているのですから。

 

優秀賞

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「愛ある救急を目指して」

「愛ある救急だとぉ、冗談じゃないよ!お前らはロボット救急隊だ!」

これは、ある救急活動の際に傷病者の家族から隊員の私に浴びせられた言葉です。

私は、この言葉にいったいどのような意味があるのだろう?と考えた時に、「はっ!」としたものを感じました。

それは、近年の救急活動における制度改正や救命士法の制度などにより、救命率向上のもと資質向上が要求される中で、知識や技術を重視にレベルアップしてゆく我々救急隊員に対し、「ちがうんだよ、私達は心ない機械的援助なんかは望んじゃいないよ」という市民からの警告ではないかと思えたからでした。

みなさん!マニュアル化した活動が、拡大しつつある現状を見過ごしてはいないのでしょうか?人というものは、新しいものを得るたびに今まで持っていたものが忘れがちとなります。

高度な知識や技術の習得だけに没頭し、弱者である傷病者に対して、″心のケア″が疎かになりやすいこの時期に、救急活動の主体は誰なのか?また、活動の際における傷病者との関わり方はどうあるべきかについて、私の意見を述べさせて頂きます。

救急活動は今、搬送業務から応急処置、救命処置の時代となり、以前のような搬送する側の救急隊が主体で、搬送される傷病者が客体という認識は捨て、市民のニーズに応えるべく、傷病者やその家族を主体とした救命救急を基本に活動していくことが現在求められている救急活動の姿ではないのでしょうか?

次に傷病者との関わり方は傷病者重視ということを考慮すれば自ら見えてくるはずです。

最近よく耳にする″インフォームド・コンセント″これは十分な説明に基づく同意という意味で近年、重要視されてきています。

救急資器材使用時や応急処置時等には、どんな目的で、どのようなことをしようとするのかを説明すると共に、傷病者の同意や選択権、自己決定権も可能な限り尊重して行かなければならないのです。

そして、つけ加えるならば、大切なのは言葉掛けと細やかな配慮だと思います。

人間対人間の関わりにおいて、必要なのは言葉です。処置を行いながら、その都度声をかけ、励まし、今まさに緊急事態に直面し、心身の不安と痛みを抱えている傷病者やその家族の気持ちにどれだけ共感できるのかが問われます。

「一刻を争う時に、そんなことを言ってはいられない」という考えは、既に傷病者を客体化している表れなのです。

このような時だからこそ、共感の姿勢をもって接することにより、自分の気持ちが自然な言動となり、それは励ましの言葉であったり、時には体を擦ることであったり、相手の訴えに耳を傾けることであったりするのではないのでしょうか?

また、細やかな配慮も欠くことのできないことであり、歩きにくい人に肩を貸したり、救急車の乗り降りに手を差し延べたりと、あげれば数限りない些細な気配りが、傷病者やその家族の心に忘れられないこととして残っていくはずです。

私が、今まで挙げてきたことは、意識して行動すれば誰にでもできる事であり、取り立てて言うことでもないごく当たり前の事なのです。

しかし、多忙な業務や慣れの中では、忘れられたり、軽視されたりという現実があるこ

 

 

 

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