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ぞれ砕氷の仕方に特徴があり、興味深く見せてもらいましたし、教えられることも多くありました。「オビ」で聴いた忘れられない言葉…。

第一次の帰りケープタウンで「オビ」を尋ねた時、通訳を通してですが「オビ」の航海士に言われた「氷を割るのが船、氷を割れない様なものは船ではない」という言葉です。その時 見せてもらったエンジン・ルームは、我々が通常抱いている機関室、或いは機械室と言う概念とはかけ離れた、発電機室という感じを受けました。あのスムーズな砕氷を支えている電気推進はこの「からくり」かと、改めて納得したものでした。船橋には砕氷中というのに2〜3人の当直しか見当たらず、飛行甲板のスタンションも倒さずヘリコプターが発着し、一見 氷の弱い所、弱い所を縫ってスイスイと進む「オビ」を眺めて、生れ育ったのが氷の海とは言え「オビ」は耐氷船、「宗谷」は砕氷船。気候・風土・総ての環境の違いとは言え、些か憮然たるものがありました。

一方「バートンアイランド」の方は、USCG所属の砕氷艦と聴いて初めから親近感を持って迎えました。何故なら「宗谷」はJCG所属であり、海上保安庁は1948年、アメリカ・コーストガードを範として創立された海の役所で、兄弟分に当たる訳ですから……。

砕氷はと言うと、いかにもヤンキー気質丸だし。西部のカーボーイの決闘そのもの。ヘリはブンブン休みなく飛び回り、しかも航海士が操縦し偵察し艦を誘導し、艦は「オビ」とは対照的に、

氷に飛び付き・噛み付くように氷に突進し、鉋を掛ける様に削り取り反転、押し出しながら続行中の「宗谷」に対し、渦流で後ろに蹴飛ばせと指示し、再び反転・砕氷。まるで砕氷と言うより運河(スエズかパナマのような)を作る様な砕氷でした。もっとも偵察飛行中に燃料が無くなり不時着(氷上に)したり、バートン自身氷に突っ込み過ぎて下りれなくなり、爆破と同時に「宗谷」が曳き下ろすと言う様な、いかにもヤンキーらしい些か漫画チックな面も見られましたが、豪快な砕氷には羨望の念を禁じ得ませんでした。「力の強い船が欲しい」…この気持ち募るばかり。

 

7. 定着氷接岸〜昭和基地〜氷上輸送〜越冬隊成立

脱出時の約2週間に渉る苦闘は今でも忘れられません。国民の皆様にも大変御心配を掛けましたが、今振り返ってみても第一次は、実に幸運に恵まれていたと思います。

昭和32・1・24 定着氷に接岸、多くのペンギンに迎えられデッドマン(舫をとるビットの代用杭)を打ちました。

S68-59-48 E39-08-45 これ以上は進めませんでした。

南極大陸まで直距離で23km、昭和基地となったオングル島まで直距離で13km、しかし雪上車による輸送路は26km〜31km、パドル、クラック、リードに悩まされました。その時その時が総て始めてという事ばかりで、感激の連続でした。自分が今歩いているこの場所は、立っているこの場所は人類で始めて……。人類が宇宙に立つ数十年前に味わった感激です。

基地成立までには、諸般の状況判断のため紆余曲折もありましたが、昭和32・1・29・20.57

 

 

 

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