日本財団 図書館


また易智言の『寂莫芳心倶楽部』(95)や林正盛の『青春のつぶやき』(97)のなかの同性愛、これらはどれも反逆者の形を借りて、礼法や倫理を大胆に踏み越えている。

同じことが他にもある。ニューウェーヴの雄である楊徳昌が90年代に扱ったものにも似た主題がある。彼の『エドワード・ヤンの恋愛時代』(94)や『カップルズ』(96)は、どちらも中国の伝統的な儒教思想の硬直化、虚偽、愚昧と晦渋に対し、根底をえぐりだし容赦のない攻撃と嘲笑で対処している。この2本はともに都会のインテリが持つ現在の台湾社会に対する不満を述べたもので、以前のニューウェーヴの現実主義を放棄し、舞台形式の閉じられた空間と物語が次々と展開する構成で、多くの役柄を配し、中上層社会が繰り広げる金銭や政治や権力の人生ゲームを映像化している。

 

台湾の輸出品

楊徳昌と同じように、作品のなかで中産階級の感性を吐露した李安監督は、より通俗的な喜劇スタイルを使い、90年代の新しい台湾の秩序を描写した。彼の作品である『推手』(92)、『ウェディング・バンケット』(93)、『恋人たちの食卓』(94)は、楊徳昌と同じく伝統的価値観の崩壊を観察しているが、李安は儒教思想の忠孝節義と家庭倫理を擁護し、制度の崩壊と頽廃を救うものとしている。

李安から見ると、制度解体をもたらした最大の要因は、現代の都会と、現代の都会と結びついた換喩(かんゆ)、すなわち現代思潮や欧米風の生活様式、そして白人社会であるとしている。白人が伝統的な東方社会に侵入して、秩序や価値の大混乱を引き起こした。広大で慈悲深い儒教の考えがなければ、個人が価値の喪失感から抜け出ることはできないとしている。

李安のこうした温情哲学は、ハリウッド式の通俗劇の美学に当てはまり、90年代には世界で大いに歓迎され、台湾映画界の最も優れた輸出品と称されたことさえあった。彼の映画は文化の橋渡しを主題に、確かにその効果を挙げ、順調に「台湾製」(メイド・イン・タイワン)を世界に広めた。彼自身ハリウッド・システムのなかで、『いつか晴れた日に』(95)と『アイス・ストーム』(97)の2本の完成度の高い映画を撮った。

李安とともに出現したのは、欧米式の製作方法である。李安の映画の製作スタッフには必ずアメリカ人が数人含まれており、アメリカ式の製作方法と西欧をマーケットとする戦略は、いずれも台湾の手工業式な映画界には一定の刺激となった。シルビア・チャンの『少女小漁』(94)『今天不回家』(96)、劉怡明の『袋鼠男人』(94)、尹祺の『在那陌生的城市』(95)はみな同じ路線を狙ったものである。

李安の作品が海外で優れた興行成績を収め、台湾の他の監督たちも1980年代の監督より国際的な評価や映画祭での名声を高めている。侯孝賢と楊徳昌が長い間台湾映画の代名詞となっていたが、蔡明亮や林正盛も頭角を現してきた。彼らの輝かしい国際的な成果は、台湾映画界の総崩れに比べ、その境遇はまさに天地の差がある。台湾社会は近年目まぐるしく変化し、電子メディアが過度に膨張し、多種多様な娯楽やレジャーが登場してきたので、映画配給制度の改善なしには、台湾映画の観客数が再度減少し、生存そのものが厳しい試練を受けることになる。

 

大陸投資

台湾映画の凋落傾向を考え、多くの映画会社は早々に資金を外国に移した。90年代初期は香港映画に投資し、徐克、李連杰、周星馳、周潤發の映画は台湾資本から大量の資金を得た。90年代中期以降、大陸が名実ともに相応しい投資の対象となり、台湾資本は次々と活動を始めた。年代公司は張藝謀の『紅夢』(91)に投資し、湯臣公司は陳凱歌『さらば、わが愛―覇王別姫』(92)と『花の影』(96)に投資し、龍祥公司は黄建新の『験身』や呉子牛の『南京大虐殺』(96)に投資し、許安進公司は姜文の『太陽の少年』(96)に投資した。これらは台湾映画が大陸との合作の方向を切り開いたことを表している。人々は、期待を込めて間もなく訪れようとする21世紀に大陸と台湾が新たな関係を作り出せるか、見守っている。なぜなら映画は政治経済のシステムの中でどうしても適切な位置を探さねばならないからである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION