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(3)日本の選択

中国中心の「華夷体制」に対して、日本は足利幕府の3代将軍義満の時代に、明の冊封を受けて一時的に「臣下の礼」をとったことはあった。しかし、それ以外は聖徳太子以来、「日出ずる所の天子、書を日の没する所の天子に致す。恙なきや」、として対等な関係を維持し朝貢貿易を避け、時として海賊に変身する倭寇という変則的な貿易を押し通し、中国に対して日本は対等な隣人、時には挑戦者であった。また、日本は長期にわたり中国文化を受け入れたが、中国からの文化も自国に必要なものしか取り入れず、さらに「日本化」するなど一定の距離を保ち、歴史的にも文化的にも中国を中心とした「華夷体制」の外側に位置し、中国と政治的に深い関係を持つことはなかった。それが日本に独自の文化を育てたのでもあった。

近世の歴史をたどると、黒船の到来で始まった近代日本は、海洋国家と連携した時には繁栄の道を歩み、大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかったことを教えている。すなわち開国早々の日本は海洋国家イギリスと同盟し、海洋国家アメリカの援助を受けて大陸国家ロシアとの戦争に勝ち、第1次世界大戦では海洋国のイギリスと同盟して大陸国家のドイツを破り、国際連盟を牛耳る常任理事国に成長した。しかし、日本が国家の基本である憲法をドイツ憲法を参考としたこと、国内政治に大きな影響を持つ陸軍がドイツに学んだこと、日露戦争で大陸に権益を保有してしまった歴史の皮肉などから、1次大戦中に戦後の世界情勢を読み違えて、海洋国家イギリスとの同盟を形骸化してしまった。そして、1916年には大陸国家ロシアと事実上の軍事同盟(第4次日露協商)を、1918年には中国と日華共同防敵協定を結んでシベリアに出兵、さらに日中戦争から抜け出そうとして大陸国家ドイツと結んで、第2次世界大戦に引き込まれ、海洋国家イギリス・アメリカを敵として敗北してしまった。

しかし、第2次世界大戦に敗北すると、日本は再び海洋国家アメリカと結んだ日米安保条約によって現在の繁栄を得た。ソ連や東欧圏の崩壊はデモクラシー国家の勝利であり、経済的には自由主義経済制度の勝利であったが、地政学的には海洋国家の大陸国家に対する勝利でもあった。近世の歴史、少なくとも1500年以降の歴史は制海権の獲得に成功した国家が覇権を握り、覇権国家の変動はオランダ、スペイン、イギリス、アメリカと、シーパワーにかかわるパワーバランスの変化と連動してきたことを示している。また、現在の世界では総ての資源を100パーセント自国で賄うことは、いかなる大国であっても不可能となり、相互に有無相通じて相互依存関係を多重的に構築して行く時代となった。特に資源のない島国の半海洋国家の日本が生きる道は、

 

 

 

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