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地域の海洋安全保障:新たなる冷戦の危険性

マレーシアからの見解:中国は脅威となるか

B.A.ハムザ(マレーシア海洋研究所所長)

○まえがき

この会議は特別な会議である。と言うのは、歴史上の決定的な時機、即ち、欧州大陸のハートランドにおける実質的な軍事的役割りをアメリカに負わせることとなったマーシャル・プランが、荒廃した欧州に希望を与えてから50年、朝鮮の分割から55年、そしてフランシス・フクヤマの唱える歴史を終えさせたベルリンの壁の崩壊から7年目の年に当たるからである。

更に重要なことは、この会議が冷戦後の歴史上の不確実性の時期に、即ち、次の千年紀の4年前、天安門事件から8年後、そして香港の中国返還の一か月後に当たる時機に開催されることである。そして、その時機は、ASEANがミャンマーとラオスの加入を公式に認めた拡大東南アジアの発足からひと月後に当たる。カンボジア危機さえなければ、東南アジア10か国体制が発足した筈であった。

このASEANの拡大は、日米同盟の枠内における日本の軍事的役割りの増大が協議されるさ中に行こなわれた。それは丁度、アジアにおけるナショナリズムがより明確な役割りを持ちはじめた時機に合致している。即ち1997年5月、わずか3か月前、日本の国会議員が、係争中の尖閣/釣魚島に対する統治権を主張するため同島に上陸したのに続き、それから数日中に中国のナショナリスト・グループがこの事件に抗議するため20隻の小舟で出港したものの、海上保安庁の巡視船60隻によって撃退された。この事件で死者が出なかったことは幸いであった。

中国のナショナリスト達が、東シナ海の岩礁をめぐって日本側と取っ組み合あっていた頃とほぼ同時期に、遥か南シナ海では、フィリピン海軍が、中比両国で領有権を争っているスカーボロ礁付近で中国の漁船員21名をだ補した。このだ浦とそれに対する在マニラ中国大使の抗議に至るまでには、1995年2月のミスチーフ礁事件以来、両国関係をこじらせた南シナ海の領有権問題を含む数回の衝突があった。

今日から3か月前の1997年5月27日、何らかの恐怖が歴史上の誤りや更なる冷戦の開始につながりかねないNATO16か国との安全保障条約にエリツィンが署名して、ロシアは拡大NATOに加盟した。エリツィンは、予期されざる行動であったが、以後ロシアが欧州を同国核兵器の目標としないことを宣言した。これは予想された驚きであった

 

 

 

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