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「赤でない」かは問題ではない。」トウ小平は毛沢東時代の中国政治の規範となっていた「赤と専門家」をめぐる論争には興味はなかった。トウ小平にとっての最重要優先課題は、中国を「富国強兵」化することであった。したがって、経済改革に乗り出し、PLANの近代化など4つの近代化に乗り出す必要があったのである。それゆえ、PLANの近代化、中国の旧式の海軍の再建と近代化の試みへの関心は、毛からトウヘの指導権の移行に起因することができよう。このように、中国海軍近代化は、伝統とCCPの権力闘争の中で劣勢の立場にあった海軍エリートの犠牲の上に成り立つ、中国のエリート近代化の到来によるものと解釈することができる。

 

第二に、南シナ海をめぐる高まる懸念は、中国の海軍と陸・空軍のパワーの不均衡を是正する必要があると考えた、PLANのパワーエリート達の権力掌握として解釈することもできる。毛沢東時代(1949年-1976年)、海軍は三軍の中で最も弱小だったのである。この意味で、PLANの台頭はPLA司令部内部の海軍派の台頭として解釈することができよう。

 

b)国外要因

 

第一に、1970年代の中国の高まる懸念は、他の国家の領有権主張の挑戦の結果として説明することもできる。台湾は1946年以来Itu Abu島を占有してきたが、北京からすれば、それは中国の主権に対する深刻な挑戦では決してなかったのである。なぜなら、両国とも南沙諸島が中国に属することを認める立場をとっているからである。しかし、中国に対する大きな挑戦は、ベトナムが1973年9月に西沙諸島を統合し、同島々を自国領としたことから生じた。それ以前の1971年には、フイリピンのマルコス大統領は南沙諸島の一部がパラワン島の延長部分として「Kalayan(自由)」諸島に属すると宣言した。1979年には、マレーシアも自国の200海里排他的経済水域内の一部の島々と珊瑚礁の領有権を正式に宣言したのである。

北京からすれば、このような領有権宣言の挑戦により、中国は南シナ海の島々に対して懸念と高圧的態度を示さざるを得なくなったのである。

 

第二に、南シナ海をめぐる中国の懸念の高まりは、炭化水素資源(石油やガス)が領有権を主張する諸国によって発見されたことに対する反応である。これら諸国は外国の石油会社と南シナ海の石油やガス採掘の契約を結んでいたのである。1973年

 

 

 

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