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ターミナルと海の両方からよじ登り発砲を始めた。賊はターミナルのオペレーターを捕まえ、無理矢理乗船させたが、船上では同じく甲板部航海士1人と水兵3人が捕まった。外側の全部の戸の鍵がかけられていたが、賊は何とか甲板室を破って侵入した。何人かの乗組員が無線で助けを求め、緊急ロケット弾を発射している間、残りの乗組員は全防火戸を閉めて開けられないように手で押さえ続けて賊がこれ以上入らないよう守った。賊は逃げたが、警祭は40分後に現場に到着した。

 

プラジル―アル バーガン号の乗組員の場合はそれ程運がよくなかった。6月に船はブラジルのサントスのアラモア ターミナルに停泊中であった。海岸用見張りをつける事は義務付けられていたので、船長は差配人に見張りの手配を頼み、この見張りのタイムシートと見張りにつく時間の予定表を入手した。1977年6月15日午後5時、見張りはまだ来ていなかった。船長は再度差配人に連絡を取り、差配人は見張り事務所に見張りを依頼した。誰も現れなかった。

 

翌日1997年6月16日午前5時50分、覆面をして銃をもった5人の海賊が港側の舷門から乗り込んできた。見張りに当たった2人の乗組員が捕まり、トランシーバーを取られ、無理矢理に船長室へ連れて行かれた。けたたましいノックの音に起きた船長は戸を開けた途端に頭に銃を突きつけられた。その間2人の乗組員は銃を突きつけられてひざまずかされていた。「金、金」と叫びながら、賊は金庫の物を盗んだが、さらにもっとたくさんの物を要求し、船長はついに本の間に隠していた1万ドルのありかを言わされた。賊が事務室、船長室、航海士室を漁り回っている間、賊を発見した3等航海士が船の一般警報機を鳴らした。船長はこれを止めるために調整室に連絡を取らされたが、連絡は取れなかった。そこで、賊は船長に何とか手で止めるように強制した。主任技師が捕らえられ、船長室へ連れて行かれたその間、賊は略奪を続けていた。午前6時20分頃、賊はようやく下船し、突堤につないでおいた小さな船に乗り込んで、船首をサントスの町へ向けて川を下って行った。その後1等航海士はこの略奪が起きる前に貨物作業の事で難なく連絡をとったにも関わらず、今度はVHF無線でターミナルの通信士に連絡が取れない事を発見した。依頼をしていた海岸用の見張りは事件後に到着した。

 

ギニア―1997年4月2日グリニッジ時間午前1時45分にサウス カウンティー号は停泊のための指示を待ってギニアのコナクリローズに錨を下ろした。その時見張りのABには20人の男を乗せたカヌーがゆっくりと接近して来るのが見えた。網や釣り用具を持っていないのに気付き、すぐにブリッジに連絡をした。そこにいた2等航海士は近づく者どもが釣り具の代わりに武器をもっていないかを確かめるために望遠鏡を使った。一般警報機が鳴らされ、見つかる限りの武器を持って全乗組員が甲板に集まり、すぐにエンジンが掛かるように準備も行われた。気荒になった海賊はマシンガンを発砲し始め、船室の舷窓は粉々に壊れた。その間、乗組員は必死になって賊に乗り込まいと努力した。グリニッジ時間の午前2時20分、船はやっと錨を上げ、海賊を後に全速力で沖合いに向けて進んだ。

 

 

 

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