かにも役場のお願いといった“甘え”は終わるべきであろうし、自治体はその方向に住民を導くべきで、自主合併はむしろそのためのケーススタディーである。
(5)合併推進の主役と責任
以上述べてきた通り、分権の推進と市町村合併問題は深い関わりの基に検討されなければならないが、同時にその推進に当たって首長や議会が最適な主役と言い切れない側面もある。清水市と静岡市の合併で清水青年会議所が精力的に活動し実現に近付いている例や、埼玉県の浦和・大宮・与野の100万都市構想で地元経済界が果たした役割を見ると市民・住民組織、経済団体あるいは文化団体など各種のグループの果たす役割の大きいことがわかる。
さらに個々の住民感情には歴史、地縁、風土、地名などへの拘りが強く、敢えて変化を求めないとか、今のまま静かに過ごしたいといった消極論、現状維持論もあろう。首長や議会側がこれに便乗する傾向すら否定できない。
しかし我が国は今、明治維新、戦後改革に続く第3の改革、21世紀ヘの創造的改革の真っ只中にあって全てが一大変革を迫られている。国家財政は数百兆円の赤字国債を抱えて再建に血を流し、中央省庁は再編成の荒波に操まれ、経済界は底無しの不況で満身創疾である。その中で一人地方自治体だけがこれまで通りの姿で、論理で、手法で生き残れるはずはない。地方分権の主役をどう果たすのか、地方行政改革をどう推進するのか、財政再建への覚悟を何によって示すのか、地方自治体に課せられた課題は今後重くなるばかりである。