解剖学実習を終えて
角田 宇衣子
初めて解剖学実習の「重み」に触れたのは、献体なされた方々の御遺族を招いて行われた慰霊祭の折りでした。その時が来て改めて私たちがこれから行う解剖というものは、故人の尊い善意と、ご家族のご理解ご協力の上に成り立っているのだ、と感じました。そして同時に「その気持ちを決して無駄にしてはいけない。感謝の念を抱きつつ、 一つでも多くのことを学び取っていかなければ……。それが与えられた無償の善意に対して私が出来る唯一の事なのだから。」という責任を強く感じました。
実習が進むにつれて、それまでは教科書の上での平面的な知識でしかなかったものが「生きた」知識となり身についてゆきました。そしてそれと同時に、恥ずかしながらこれ迄「生命とは何か?」或いは「人間とは何なのか?」と言う問いについてはほとんど考えたことがなかったことに気付かされました。私たちは免疫・感染とは何なのか? と言うことは講義で学び知っていても、医のもっとも基本となる「生命」或いは「人間」について考える機会は一年の内に幾時間もありません。しかし今回の実習を通してこの「知っていて知らない」事柄に真摯な気持ちで直面し、自分なりの答えが出せたことは非常に貴重な体験となりました。「科学としての医学」