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ただ一回一回の実習をこなすことに精一杯の日々であったが、今思うと疲労感より深い充実感を感じる。この四ケ月間で、私自身も周囲も少しずつ変化してきた。「緊張の果ては慣れの始まりである」と何かに書いてあったが、慣れることで、非日常的だった解剖実習が生活に組み込まれ、メスを入れることにも躊躇した御遺体から学ぶことにだけ集中できるようになった。人の話や本から得た知識で想像をふくらましていた解剖実習も、自分の目で見て、肌で触れて、心に感じた現実は全く異なるものだった。単なる好奇心も、感動の連続の中で、目的意識へと変わっていった。なにしろ、脂肪も神経も血管も、剖出するもの全て初めて目にするものである。皮神経一本に数時間を費やし、皮静脈を切ってしまって大騒ぎし、落ち着きはないが新鮮な毎日だった。ある程度構造を理解し、班員が各自何を行うかを把握できるようになると、自然と実習室の雰囲気もまとまりを感じるようになった。解剖は専門に入って最初に越えなければならない山だが、教養の間学年全員が集まることもほとんどなく、名前すら知らない私達にとって、お互いを知る機会が得られたことは良かった。

実習中、強く印象に残っているのが手術跡である。(実習内容とは関係ないかもしれないが。)私の班の御遺体は心臓と胃の手術が行われていた。心臓は通常の三倍以上に肥大しており、左の房室弁が人工弁であった。プラスチックのような素材で、胸骨や心臓の外部は針金で閉じた跡があった。胃は下三分の

 

 

 

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