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親子

池上千鶴子

私の老境は恍惚の母と一緒。わが身も朽ちて行く枯れ葉一枚。母の介護の明け暮れ、将に筆舌にせぬ悲しき極地。如何なる指導も、人それぞれによる異なる関門、神の酷なる試練でありましよう。先輩、諸友の助言、一片の言葉が嬉しく、明日への何よりの励み。母一人、娘一人、老いし母を見り初めてわが身の振り方を思う。すべからく、世の風は常ならず、母より前のわが身の夭折を思う今。健康は宝、健やかなる体のある限り、胸を撫で明日へと挑み、身構えて寸暇を惜しむ。老人大の憩いの集い、習字、民謡、詩吟に、穏やかなそよ風、母が習字の作品を綺麗という、思わず小さ感激涙溢るる。余生、余すところ僅か、親子共に献体の身。顧みれば人の恨み、身に覚えなき事、過ぎなく過ぎし佳き日を愛し、神に誓いし。「逆境は求むべきではない、だが避けるべきではない逆境こそ人の心の中に強さを作る」心にしっかり残る名言。親子の絆大切に余生を強く送りたし。

 

近況

古郡雅子

梅雨だというのに雨が少なくて、ダムの水が少なくて節水を余儀なくされておりますが皆々様は御精勤のこととお喜び申し上げます。

入会しました時は、六一〇番でしたが今は二〇〇〇番以上の方がいらっしゃるので、「多過ぎてお役に立てないのではないか」といらぬ心配をしています。私が入会させていただいたのは、私の兄、姉、兄嫁が大阪の私大病院(みおつくし会)に献体させていただいていたからです。兄娘は健在ですが兄は五十八年、姉は六十二年にお役に立てていただきました。文部大臣の感謝状、大学長様の感謝状も頂きました。私も六十年に主人を亡くしまして、前々から決心しておりましたので、六十一年に山百合会に入会させていただきました。

特に不思議なことは、姉の遺骨を大阪までいただきに行き、お墓があります高野山に納めに行きました(一月)。しかし、雪があったり土が凍ってたりで納骨できず、お寺の御ずしに待っていただいておりました。春になっても行けなかったところ、夏にお寺が放火されて主要文化財の仏様(高野山地蔵院)も灰になったので、姉のお骨も諦めておりましたところ、急に風邪向きが変わぁって姉のお骨や感謝状の筒が黒くくすぶりましたが無事でした。今は、義兄のお骨の共に眠っています。不思議なことと、いつも献体させていただいたことが、何か関係があるのかとも考えております。

今、私は神経が悪くて右手が痛んでます。が、「心臓はよいので長生きするだろう。」と言われています。

肉親はほとんどなくなったので、死ぬことはおそれていません。若い方に少しでもお手伝いが出来るのだと思い、喜んでます。今後とも何卒宜しくお願いします。

つまらぬ事をくだくだと書き連ねてしまいました。右手が痛いので、乱筆でごめんなさい。

皆々様の、ますますの御健康と御自愛を。先ずは、御礼まで。

 

 

 

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