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人生観と死生観の意思表示

藤井達三

朝日新聞に「いのち長き時代」「生と死」と題して、十三回のシリーズが平成九年元日から始まりました。私はそれを熟読して、充分自覚していたつもりでしたが「生は永遠ではない」ことを改めて強く再認識させられました。

その後一月二十九日に「読者からの反響五百通」で、主婦、自営業、医師、看護婦、保母、高校生達十六名の方々がそれぞれ体験された説得力ある投稿を読み感銘を受けました。

最近の急速な医療技術の進歩により恩恵をうけ長寿社会の到来となりましたが喜んでばかりもいられません。同級生への年賀状の返信に「義父は四年前からアルツハイマー病を患っていますので、今後のご案内は不要です」とあり大変ショックを受けました。意識が無くてしかも尊厳を保てない余生、友人も気の毒ですが、そのご家族のご苦労も察して余りあるものがあり考えさせられました。

私は「京大白菊」の二十六号でも「私の献体登録の動機」として、ご紹介しましたが、私は追突事故のため、ライトハウスで女性の鍼・マッサージ師の治療をうけておりました。その方は目がご不自由で、角膜移植を持ち望んでおられましたが、その機会が来ないうちに神経が冒され移植の道が断たれたとのことでした。そこで私は、そのような事態にならないうちに、移植できる方に献眼して差し上げたい、と思うようになりました。

月日が過ぎ、昭和五十四年十一月八日より朝日新聞社藤田真一記者(当時)の「これからの生死」と題する三十八回連載の記事を読み、献体、献眼等を詳しく知るようになり、献体、献眼を決意し五十五年二月に入会した次第です。

その第三十三回目の記事「眼球輸入スリランカに頼る」で沼津市の真楽寺(鎌倉時代から続く由緒ある寺)第二十四代住職、勧山弘氏がH・シルバー博士(スリランカ国際アイバンク協会会長)を通じて昭和四十八年より六年間に二百十九眼を我が国へ世話された、とありました。その後六十三年七月五日朝日新聞夕刊に「一隅を照す」として同住職の功績が大きく報道され、その陰徳にもさらに深く感動いたしました。

最近では昨年十一月一日に初代大統領ジャヤワルデネル氏(九十歳)が死去され、遺言により翌日角膜を日本に発送されましたが、同十一月六日付夕刊の「窓」で紹介された「親日家の死」の一節を引用させて頂きます。

「憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ」一九五一年、米サンフランシスコでの対日講和会議で、当時のセイロン政府を代表して演説したジャヤワルデネル氏は、ブッダのこの言葉を引用して、対日賠償請求権の放棄を宣言、日本の国際社会への復帰を訴えた。吉田茂元首相はその後の回想録のなかで「日本の知己ここにありとの思いを禁じえなかった」と記している。日本の再出発を支援し、最後まで親日家だったアジアの友人の気遣いに、私たちはどう報いてきただろうか。

そこで改めて我が国の文化、死生観と外国との違いに、思いを致さねばなりません。日本人独特の死に対する感傷的な考えがあり、死は尊いものであり、死と共に人は仏になりその遺体にメスを加えることは仏への冒涜であるとする考えが根強い。古くから儒教の思想が尊重され「身体髪膚ヨレヲ父母に受ク、アエテ毀傷セザルハ孝ノハジメナリ」これでは献体も献眼も臓器移植も成り立ちません。献体に反対者の多いのも事実ですが、時代は大きく変わりました。全世界のカトリック信者の宗教的信念であるボランティア、博愛精神が余りに欠けているのではないでしょうか。

平成八年十一月十六日麻酔学会理事会で、脳死移植は法整備前提と決議しており、警察も呼吸停止が基本で脳死を認めておりません。国会も同年九月二十七日臓器移植法案は廃案になりましたが、その際でレシピエント(受領者)がドナー(提供者)の現れるのを一日千秋の思いで待っておられます。脳死を人の死と認めない我が国の臓器移植の展望は決して明るくありません。

今年一月十五日の新開発表で「移植骨髄、台湾からの提供計画、厚生省も反対で断念」とありました。現実に数千万円の費用を調達して海外にドナーを求めて移植を受けている方もあるのに、厚生省は「日本で足りない臓器を海外で調達するのかといった批判を生みかねないため」と横槍を入れる始末。全国骨髄移植推進財団の野村正満運営副委員長は「厚生省や財団に対して我々は早くからアジア諸国との提携を勧めてきたが、無視されてきた。業を煮やして、民間でやろうとすると、ストップをかける。市民団体に出過ぎたまねをされては面子がつぶれると言うことか」と憤っておられます。

「脳死は人の死か」をめぐって長年論争が続いた法案が本年六月十七日、成立しました。立法化は一つの指針でしょうが、議員でも「臓器移植は医師の倫理にゆだね法制化すべきでない」との声もあり、連日のように専門家の投稿が続きました。その間のことはホスピスに多大の貢献をされている柏木哲夫先生の「日本人には感覚的に受け入れ難い」に要約されているのではないかと思います。

会誌三十五号に喜多保夫様がお寄せ下さいました「死者からの臓器移植には生前登録制度を」熟読させて頂き、この制度しか他に方法がないと確信致しました。そのための運動に参加させて頂きたいと思っております。

いずれにしましても、臓器移植に限らず現在は各人各様の人生観や死生観の意思表示を求められている時代と思います。信念に基づく遺書、リビングウイルを書き留めておくのが最善かと思い皆様のご一考を煩わす次第です。

 

 

 

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