日本財団 図書館


ていってもらわないと大変困る。これも交流のあれだと思います。

それにいくと、大阪JCなどというのはものすごく元気がよくて、大阪JCは北朝鮮に行って、北朝鮮の共産党青年団と交流して、また向こうの連中を呼んだりして交流したりしているのです。今はどうだか知りませんが、先々代の大阪JCは極めて積極的で私は感心してしまったのを覚えています。

さて、観光と交流ですが、我々がいつも考えている交流というのは、出ていく交流である。出ていく観光である。それで迎える観光、迎える交流の発想がなかなか出てこない。しかしその辺の価値観が今、大きく逆転しているのだという認識が非常に必要なように思います。

それで、出ていく観光のほうは、これは新しいアジアの知見が開けてきた。例えばミャンマーであり、ベトナムであり、インドであり、その次はトルコであろうと、私は思っていますが、そういうところが浮かび上がってきたということです。私は基本的にやはり親日の国というのは観光の最大のメリットになると思っています。私は基本的にはベトナムは親日だと思います。ベトナムで感心したのは、要するに非常に手先が器用だということです。それから忍耐強さがある。ベトナム戦争を勝ち抜いた。それでベトナムは日本の西陣の着物を10万着ぐらいつくっているのです。帯も同じくらいつくっているのです。今はもっとつくっているのではないでしょうか。2年ぐらい前のことになりますが、西陣の着物工場に行くと、若い十六、七歳の目のいい少女たちが細かい刺繍をしている。そこは小学校の教室みたいなところで靴を脱いで上がるのですけれども、その中に突然西陣の世界が開けるという感じです。そういう細かい刺繍をやっている。

そういう意味の手先の器用さ、それから根気のようなものはベトナムの国民性といいますか、非常なメリットであろうかという気がするのです。

私はアジアの親日国は非常に多いと思います。日本のマスコミはそういうことを書きたがらない。ほとんど自虐的なマゾヒスティソクなマスコミですから、日本が好かれているということは嫌で、嫌われているということになるとみんなうれしがって書くという不思議な国ですけれども、それはマレーシアだって大変な親日国家である。インドネシアだって大変な親日国家である。インドネシアでは戦争が終わっても1,000人の兵隊が残ってインドネシア独立戦争を戦ったわけです。そういう人たちが今も残っている。

それから、マレーシアはルック・イースト政策を取っている。マハティールさんが自分の利益より組織の利益を優先して考えるのは日本人だけであると賞して、日本に留学生を送り込んできた。マレーシアで日本語を2年勉強して、その後日本に4年留学するのですが、その人たちがもうすでに5,000人近くいるのではないでしょうか。

しかしミャンマーになるとこれまた大変な親日国家です。ミャンマーについて、なぜ彼らが親日かというと、それは結局日本が独立を助けたということに大きな意味があるわけであります。ビルマは結局、イギリスビルマ戦争の結果、王様と王妃はスリランカに遠投になって、皇太子はみんな殺されて、王女は全部身売りをさせられるという惨澹たる歴史をたどったわけです。その後、30人の救国の志士、独立の志士というのが出てきて、それが日本で教育を受けた。日本の中野学校が海南島で徹底的な教育を施して送り込んで、そしてビルマは独立するわけです。

それで、その時の記憶がいまだに焼きついていて、この30人の志士たちの一人がアウン・サン・スー・チーの父親のアウンサ

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION