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基調講演I「癒しを求める現代社会」

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◆栗原彬(くりはらあきら)

立教大学教授 政治社会学者

 

■プロフイール

 

◇1936年、宇都宮市に生まれる。幼い頃から、渡良瀬川近くに住む祖父母から“蓑笠つけたお聖人”(田中正造のこと)の話を聞かされた。

◇東京大学教養学部国際関係論卒業。同大学院で社会学を学ぶ。

◇現在、立教大学教授。専攻は政治社会学。研究テーマは、差別と共生、アイデンティティ論、管理社会論、社会運動論、市民活動論など。

◇著書に『人生のドラマトゥルギー』(岩波書店)、『やさしさのゆくえ=現代青年論』(ちくま学芸文庫)、『管理社会と民衆理性』(新曜社)、最近の編著に『講座・差別の社会学』全4巻(弘文堂)など、多数。

◇日本ネットワーカーズ会議に参加。水俣・東京展評議員、水俣フォーラム評議員。学生たちと山形県高畠町(有機農業の里)への“縁農”を続けている。日本障害者芸術文化協会会員。

 

■要旨

 

私たちがいま生きている時代は、ミーイズムの時代と呼ばれる。1980年代に、「豊かな社会」を支えていた小家族、学校、地域、企業にゆらぎが生じて、無定型の個が漂い出した。プログラム化された人生の見取図が空手紙であることが明らかになった。不確定性の時代が到来した。漂流を始めた個は、欲望と消費の海に投げ出された。不確定性の不安の中で「自由からの逃走」が始まる。社会の方も、システムの立て直しをはかって、子どもたちに、モノの配列によるアイデンティティの疑似的な獲得を促し、カネと権力と地位を社会の中で生きるメディアとすることを刷りこみ、組識への同調を促してきた。不登校、いじめ、自殺、摂食障害、援助交際、引きこもりは、いずれもこうしたシステムの圧力に対する、子どもたち、若者たちの必死のメッセージと言える。連続幼女殺人事件、オウム真理教事件、神戸少年殺人事件は、いずれも癒しを求める時代のメッセージを含んでいる。

癒しは、苦しみを受けているその人が、自分を癒すしかない。誰かが誰かを癒すことはできない。人は時間をかけて自然に癒されるのである。

癒しはその人にしか起こらないが、同行する他者が必要だ。癒しのマニュアルはない。癒しは、直線的、即効的には起こらない。無用の用というか、遊びというか、他者との相互性の振り幅が必要だ。また、自分を表わすことと、それを他者が共有することが必要だ。しかも身体で表わすこと。目、耳、口、手、足。いや、目ばたきだって、息だって表現だ。

構造的な受苦は、その構造を解除しなければ、苦しみを癒すことはできない。構造的な癒しもまた、構造を解体していく協同的な身体のパフォーマンスを必要とする。

癒しは、単にマイナスへの補てんではない。癒しをもたらす身体のパフォーマンスは、多様な生命の共生するコスモスへ、社会を編み直すのだ。

 

 

 

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