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2 焼津市の防災対策の沿革

焼津市の防災対策の沿革について見てみよう。

(焼津市資料)

 

(1)東海地震説の発端

昭和51年8月,地震予知連絡会において時の東京大学助手の石橋克彦氏が,駿河トラフを震源とする大地震が「明日起きても不思議ではない」,周期的な繰り返し地震の空白域となっているとの学説を発表した。

この東海地震説は「プレートテクトニクス理論」でも立証され,多くの地震学者により支持され,静岡県を中心とする東海地域では大きな社会問題となった。

(2)大規模地震対策特別措置法(大震法)の成立

東海地震のような巨大地震に対しては県,市レベルでの対応には限界がある。

また,現行の「災害対策基本法」についても,このような広域かつ激甚な被害を伴う災害を想定して作られたものではない。

そこで,予知を前提とし予めとるべき防災体制を法律で定めるとともに,国・県・市町村・住民・企業等の対策を制度化し,予知がなされた時は「警戒宣言」が発令され,関係者が一到協力して地震防災活動を開始することにより,被害を最小限にくい止めることを目的に昭和53年12月に施行された。

?@ 大地震発生の可能性の高い地域を内閣総理大臣が「地震防災対策強化地域」に指定する。

(静岡県全域・山梨,神奈川,長野,岐阜,愛知各県の一部の169市町村)

?A 国・県・市町村及び防災上重要な事業所等は,「地震防災計画」を策定し,必要な防災対策を講ずる。

?B 国は地震予知観測を重点的に行うとともに,大地震発生の可能性が出てきた場合は,内閣総理大臣が「警戒宣言」を発する。

?C このような事態になった場合は,各機関は計画に基づき地震防災応急活動を行う。

(3)焼津市の地域防災計画の沿革

昭和47年8月  焼津市地域防災計画策定

昭和50年9月  焼津市地震災害対策計画策定

昭和55年6月  大震法に基づき焼津市地域防災計画(東海地震対策編)策定以後(一般対策編)と(東海地震対策編)各(資料編)の4部構成となる。

平成2年8月  東海地震対策編一部修正(最終)。

平成5年4月  静岡県作成の「東海地震に関する第二次地震被害想定」が発表されたことに伴い,2年計画で「焼津市地域防災計画」全面改訂作業に着手する。

平成7年4月  阪神・淡路大震災の教訓を基に「焼津市地域防災計画見直し大綱」を策定し,改訂作業を1年延長する。

平成7年11月  焼津市地域防災計画改訂案作成。(一般対策編)(東海地震対策編)(資料編)の3部構成となる。

平成8年1月  焼津市防災会議開催した。

平成8年5月  災害対策基本法に基づき県知事との協議を経て改訂終了。

(4)津波浸水危険区域及び被害想定

?@ 市の概要(平成8年9月1日現在)

・市域の面積     45.72km2

・人   口     117,127人

・世 帯 数     35,227世帯

?A 安政東海地震による

・津波浸水危険区域面積8.97km2(約19.6%)〔次図参照〕

・区域内居位人口   45,250人 (約38.9%)

?B 東海地震に関する第二次地震被害想定による

 

 

 

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