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地震発生時からの市役所での動きを日を追ってみてみよう。

(森 永壽(大学院生)「市役所での動き」(「ボランティアはいかに活動したか」))

 

(略)

17日未明,地震発生。直後には消防局から各消防署へ人命救助優先の指示が出され, 6時30分には市でも災害対策本部設置の準備がなされ,情報を収集し始めている。午前7時,市役所内に災害対策本部が設置される。災害対策本部は市長,助役,市役所各局局長,消防局長,中央病院長らから構成され,災害対策について各部局からの意見交換の末に指示を決定する。組織系統も特別の体制がしかれ,総務局は市役所の人員の動員,教育委員会では避難所の管理(特に学校関係,市の施設など)が,財政局は物資の配布,生活経済局が食料の供給を担当することが予定されていた。同時に,徐々に全国各地からボランティアが集まるのであるが, この日はまだそれほど来ていなかった。

18日,ボランティアの受付を総務局人事部が担当することに決定。市役所の5階人事部にて出勤している職員が交代で受付を行った。以後,人事部ではボランティアの受付,配置などに追われることになる。避難所へのボランティアは,当初,教育委員会独自で行っていたが,まもなくボランティアをさばききれなくなり,総務局人事部へボランティアの派遣を依頼するようになった。また,この日の晩から救援物資も届き始め,とりあえず市役所内に搬入している。人事部では各部局から必要人員の報告を受けて,市役所内からの希望にあわせ人数を集めるのが精一杯であり,ボランティア個人の資質や特技などを聞くような余裕はなかった。

19日,ボランティアが殺到し始める。19日だけでも490名以上のボランティアが来ているとの記録が残っている。ボランティアの幾人かは市役所内で泊まり込みを始めたが,人事部では彼らの仮眠所の確保のために管財課と交渉し,5階会議室や市議会会議室などを開放してもらった。しかし,すぐにボランティアが募集人員を上回る事態となり,せっかく西宮に来たボランティアも待機してもらうことになった。また,電話でのボランティア応募も,その数の多さに市からボランティア依頼の電話をかけることはできなかった。また各部局,特に食料や物資を担当する部局では届けられる物資への対応ができなくなり,ボランティアに全面依存するようになった。食料の配達は本来は生活経済局の担当であったが機能できず,当初からボーイスカウトなどボランティアの協力を得て,だんだん体系的に分類,整理されるようになっていった。また,物資の配達は財政局税務部の担当であったがまもなく対応できなくなり,ボーイスカウトなど常に20〜30人のボランティアに動いてもらい, 1月29日にはNVNの正式設立以前から協力の依頼を行っている。

20日,ボランティアの受付を始めとする地震にかかわる特別業務が激増,通常業務を全く行えない状態になる。また,市職員もずっと市役所内で泊まり込んでおり,職員にも疲労の色が目立ち始める。ボランティアに来てもらっても仕事の振り分けもできず,市役所の機能が成り立たなくなった。そこで人事部では,何とか早く通常業務を回復するよう,またボランティアに有効に動いてもらえるよう,ボランティアの受付をボランティア自身で行わせる構想をもつようになった。この構想は震災への対応やボランティアの受付などの激務のうちに人事部の中から自然発生的に生まれてきたものであり,人事部の部長,課長によって統合されていった。同時に,人事部の部長らは他のボランティア団体にも運営のあり方について意見を求めている。こうして市として統合された構想を実現するために,人事部では具体的な動きを始めた。まず,市役所内で活動しているボランティアとの接触をもち,ボランティアと市との連携の実現にむけて活動した。この動きは,集まっていたボランティア達と年齢が近かった人事部職員が中心となって接触を図ることになった。その後数日間,同職員は昼の間ボランティアの受付を行い,夜になるとボランティアの何人かに話を聞きながら,市側の構想の実現にむけて根回しを行った。当時は,市役所では地下1階でボーイスカウトが,市役所の5階では市役所がそれぞれにボランティアの受付を行っており,ボランティア受付の統合も市の構想の中に含まれていた。

22日,23日に人事部の部長,課長はボランティアの運営について協議, また他の団体へもヒアリングに。これらの協議の中で,ボランティアの組織はボランティア自身で自発的に行うように方向づけ,組織とタイアップすることによって市の業務を早急に復旧できるように留意した。同時に,人事部職員を通じてボランティアの何人かに趣旨を説明し始めた。その結果,他の既存のボランティア組織からは悲観的な意見が聞かれたが,一般ボランティアの中から数人がボランティアの受付業務の手伝いを申し出て,23日からボランティア自身でボランティアの受付を行ってもらうようになった。例えば,市役所の5階で一般ボランティア活動を行っていた山原らは人事部職員の説明を聞き,すぐにボランティアの受付業務に協力した。また,西宮市内の避難所で活動していた西野らは,市役所の対応がなかなか進まないことから独自に情報を集め始めており,市の提案にすぐに賛同した。

市の提案に賛同したボランティア達は,一般ボランティアの組織化にむけて調整を続けた。24日には,組織化の後に必要となる事務所の設置が議論され,市役所の地下などの候補が挙げられた。1月末にはいくつかの団体から賛同を得ることができ,ボランティアがネットワークとして組織化されることになった。中でも伊永,山形らを中心としたボーイスカウトが組織化に早くから賛同し,ネットワークの設立に協力したことはその後のNVNの設立・発展に大きく寄与している。

25日には,市の人事部でボランティア保険への加入を決定。市の予算を拠出することになった。この決断は人事部をはじめとする市の上層部の柔軟な対応によるところが大きい。

30日にボランティアの拠点となるエアテントの設置場所を協議し,人事部では担当部局に敷地の利用,電話の設置などの了解を取り付けた。31日に山形にも拠点予定地を見てもらった。しかし,このエアテントでは搬入物資が収まりきらず,結局ボランティアの拠点がエアテントの中に入ることはできなかった。

31日にはボランティアの拠点としてNVNの事務室が市庁舎地下に開設された。 NVNの参加団体には各種ボランティアが含まれているが,これらの団体の1つとして市が参加している。NVNを指揮する立場ではなく参加メンバーとしてNVNに参加するとの判断は人事部長の判断によるところが大きい。NVNの人事課と市の人事部とが連絡を取りあい,2月1日に市との提携が始まった。毎日,必要人員についてミーティングを行い,その日の反省と翌日の予定を話し合った。

 

 

 

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