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題目

 

NECAR II-Driving without Emissions

 

出典

 

Daimler Benz 社資料

 

ダイムラーベンツNECAR?U-?Vミッションの排出無しで走行

 

燃料電池-自動車の将来へのカギ

 

ダイムラーベンツの研究者達は、未だかつて見たことのない電気自動車を開発した。バッテリーからの電流に頼る代わりに、このミニバンは水素と空気から発生する動力による化学反応を利用している。モーターを駆動させるのに必要な電気は、二つの水素タンクから燃料の供給を受ける燃料電池によって車載状態のまま作られる。メルセデスの新Vクラス多目的自動車(MPV)に載せられた。この自動車は、6人乗りで一つのタンクで約250km走行が可能である。そして、大気環境に関する情報ではないが、騒音公害を抑制することにも寄与するものである。

ボンネットの中では、風きり音で打ち消されるくらい静かに電気モーターが回る。言葉通りに理解すると電流を作り出す燃料電池は“無口”である。発生する唯一の音は、時々出るコンプレッサーのかすかな音である。唯一の排出物は排気口(または研究者達の間では、換気導管という)から出る水蒸気である。窒素酸化物、すすなどのパティキュレートのような環境を破壊するエミッションや地球温暖化の原因となる一つの物質である二酸化炭素も出ない。メルセデスの責任者Helmut Wernerは、自動車分野において燃料電池を使用することは本当の意味での石油代替になると言っている。彼は、この技術は来世紀に向けて、自動車単体を確固としたものにする手助けになると信じている。

150年以上前、英国の物理学者Sir william Robert Groveは、初めて酸素と水素の電気化学反応により直接電気を作ることを考案した。さかのぼること1839年に、水素・酸素バッテリーを作った。引き続き3年後に彼は改良を行った。しかしながら、Groveの発明は他の発電方法により取って代わられてしまった。Werner Siemensによって発見された原理に基づく発電機は、よりうまくいくことがわかり、化学的に電気を作る方法は舞台裏へ押しやられてしまった。

しかし、燃料電池に関するGroveの業績は決して忘れ去られることはなかった。約1世紀後の1950年にアメリカ人はこのアイデアを取り上げ、NASAはジェミニとアポロの有人宇宙プログラム(相当高価であった)のため最も高精度の燃料電池を作った。1960年代1970年代には、自動車に化学的に作った電気を利用するパイロット計画が見受けられた。それらの自動車は、トラクター、フォークリフトトラック、軍事車両であった。不幸にもこれらの計画は技術的複雑さのために崩壊してしまった。

その後、自動車用燃料電池がその価値を得る機会を持つのは、1993年のダイムラーベンツでの新規計画であった。ダイムラーベンツはカナダ、バンクーバーの斬新的な会社バラードパワーシステム(燃料電池分野で経験豊かな会社)とともに、3.5トンのバンを開発する計画をたてた。それは1994年に公式に発表された。しかし、使用された燃料電池システムは大きく重く、車両の積載スペースを占有してしまうものであった。従って走る実験室はドライバーと乗員一人で90km/hで走行するのみであった。その新しい電気自動車(このプロジェクトではNECARと呼ばれた)は、燃料電池を積んだ自動車推進の可能性を実証するもの以外何ものでもなかった。しかし、ちょうど2年以上かけてダイムラーベンツは夢

 

 

 

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