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第3回ワークショップ

「自然を生かすなぎさの創造」

 

■講演「なぎさリスト誕生ダイビング事業で海岸線の保全をめざす、ある町の記録」

南紀枯木灘海洋生物研究所所長 森 拓也氏

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●鳥羽水族館での仕事

鳥羽水族館に20年間勤務し、今年1月に辞め、すさみ町に家族と引っ越してきました。専門は水族応用生態学で、生態系を壊さずに水(海)の生き物を人間生活に利用しようというものです。最終的には、サンゴ礁生態学、南の海のサンゴ礁に住む生き物たちについて研究していました。学生時代、5ヶ月ほど南の海を回り、今の下地ができました。

水族館に入社した年、ミクロネシアのパラオ諸島にある信託統治領生物学研究所に半年出向しました。その後水族館に戻り約10年間ジュゴンの飼育係をしておりました。本業の他に司会、イベントを手がけていて、企画室に異動になり、企画室では、新聞・雑誌への話題提供、小学生対象の社会教育、年間40-50件の修学旅行中の小学校5、6年生に対する講演、またガイドブック、ポスター、パンフレットの作成、更に海外生物調査を行っていました。鳥羽水族館は館長の意向で「儲けた金を還元する」ために海外生物調査を行っており、シーラカンス、オウムガイ、ジュゴンの調査などを若手に引き継ぐところまでやっておりました。しかし、フィールドワークをやりたくて辞めました。

 

●すさみ町のダイビング事業

すさみ町は過疎化が進み、人口わずか6300人で初めて訪れた時、活気を感じませんでした。鳥羽市は人口23000人程度ですが、年間の入り込み客が500万人で非常に賑やかであったため、ギャップがありました。また、家からマーケットまで車で20分、本屋やケーキ屋・パン屋が無いなど不便はありましたが、何度も行くうちにいい町だと感じ出しました。

すさみ町は漁業の町で、春はカツオのケンケン釣り(トローリングの一種。一匹ずつ釣って素手で締めて血抜きをするので一匹あたりの単価が高い)、夏はスルメイカ漁、秋から冬にかけての伊勢エビの刺し網漁、この三つが柱となっています。一方で、漁獲高が落ち、後継者難が続いており、採るばかりではじり貧になると漁協の組合員は考えていました。そこで、「ノアすさみ」の現社長が「採る漁業から見せる漁業にしよう。」と発案し、ダイビング事業を始めました。漁業協同組合が51%、残りの49%が民宿組合、組合員の一人一人、地元の人が出資して「ノアすさみ」という会社を作りました。会社名は「ノアの箱船」のようにという意味です。大手資本からの話もありましたが、地元に落ちるお金は、遊漁料のみだったので断わりました。「ノアすさみ」は、出資者を儲けさせるための会社というポリシーを持ち、借入金ゼロで会社をスタートし、ダイビング客を連れていくのは組合員の船、タンクや機材類は漁協が貸し出す、更にガイド料、環境保全金として300円と、組合にお金が入る仕組みにしました。

 

●南紀枯木灘海洋生物研究所

当初、「ノアすさみ」のアドバイザーとして手伝っていましたが、「ハードは簡単に作れるけどソフトが無いと長続きしない。自然本来のものを紹介するようなソフトがいる。」と社長に言ったことから、研究所を作って新しいソフトを紹介する現在の仕事を始めることになりました。

研究所は、無人駅であるJR見老津駅の活用を提案し、JR側に全額負担で改装してもらい、始めました。見老津駅は目の前が海で、すぐにダイビングができる場所です。

見老津駅は一日30-40人の乗降客でしたが、わずか9坪の待合い室に水槽を置き無料開放しただけで1ケ月に2500人もの人々が訪れました。水槽内には地元で取れた魚を無償で提供してもらい、研究所は地元のものという意識もできてきました。オープン後4ヶ月で約7000人が訪れています。

本来はダイバーのサロンのつもりが、ダイバー3割、他の観光客・地元の人が7割で、観光バスまで停るようになり、「ノアすさみ」のポリシーがアピールできました。

 

 

 

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