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している。上海市の死亡率は多少低かったが、その時代の子どもたちは栄養失調によって、生涯消えることのない影響を受けた。

 

彼らの就学、就職、結婚の時期(1977から1985年)には、十年間にわたる「プロレタリア文化大革命」によって、知識人の「下放」労働があり、そして「計画出産政策」(いわゆる一人っ子政策)がある。小学校の時代は、生徒数が多く、学校は過飽和状態にあり、教員の負担は重く、1962年には全国平均で、1クラスの人数が45人を越え、教員対生徒の比率は1対12人であった。教員も学校設備も生徒の大量増加に適応できず、社会的影響と併せて生徒の教育にかなり影響を与えた。中学校時代には、「文化大革命」に遭遇し、教育システムが破壊され、真面目な勉強はできなかった。大学の段階になると、大学の受験制度が廃止され、通常の入試を受けて大学へ進学することができなくなり、正規の大学教育を受けられる人はごく少数に限られた。そして就職年齢になっても十分な就職先はなく、農村へ「下放労働」に行かざるをえなかった者も多かった。この世代の都市青年の75〜80%は「下放労助」の経験をもち、上海市の青年も例外ではなかった。1970年代になると、この世代の人々は結婚、出産の段階に入ったが、中国の人口問題への対応から「晩婚晩産」、「一人っ子」の政策が取られ始め、彼らは最初の「一人っ子」の親となった。就労において、昇進昇進を迎える段階(1999〜2007年)には、経済が急速に発展し、この世代の人々に大きな機会をもたらす。しかし、彼らは、自分の豊富な経験はあるが、一般に学歴や特技がなく、不利な状況に置かれる者も多いと言われている。

 

彼らが定年退職の段階(2009〜2020年頃)になるとき、上海市は人口高齢化の最盛期を迎えるが、社会が提供できる養老金、高齢者医療及び生活面におけるサービスはこれから用意されなければならない。また、上にさらに高齢の親がいれば、扶養する義務があるかもしれず、下には、「一人っ子同士」の子ども夫婦しかいない。中国政府は、「一人っ子政策」は一時期の措置であり、人口の増加が緩やかになれば、中止する意向も示している。もしそれが実現すれば、子ども夫婦は2人の子をもつ可能性も十分考えられ、2人の子の育児に励む子ども夫婦に、あまり自分たち親に対する扶養や介護などを期待できそうもない。

 

 

 

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