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その事務所の名前が環境開発センターというんですね。昭和36年、1961年です。当時、環境というと誰も分からない、今でこそ環境庁があったり、こういうふうに環境といったら、みんなすぐ分かりますが、環境という言葉は全く新聞に1字も登場してこない時代なんです。

そこの事務所を始めたのは、私の建築のときの先輩なんですね。丹下さんの実際のチーフをやって、プロデュース的な役割をしていた浅田孝さんという方なんですが、大変ユニークな方です。この方が環境という名前をつけました。私は都市を作りたいと思ったんですが、いや、「環境開発センター」でやるんだと。ちょっと私もびっくりしました。環境という言葉は聞いたこともない。当時のことですよ。一体それはどういう意味なんだ。環境という言葉は、今の皆さんは、途端にピンと来ますでしょう。当時は全くそういうことはありませんね。せいぜい環境という言葉が使われたのは環境衛生業というのがありまして、これは大体お便所屋さんなんですね。汲み取り屋さんなんです。そこには環境という言葉はこの字は使われていました。ほかではまずほとんど使いませんね。

ですから、私も分からないんです。何で都市を作るのが環境なんだ。いや、これからは環境なんだ、その浅田さんがおっしゃるんですね。これから、ただ建築屋どもが、ただカッコいい建物を作っている、ああいうことだけではないんだ。全体の我々の環境として考える。一つの建築を作るんでも、一つの道路を作るんでも、一つのトンネルを掘るんでも、一つの港湾を作るんでも、それはすべからく全体の人間にとっての環境なんだ、こういうことを言われたんですね。私も初めはよく分かりませんでした。でも、だんだんだんだん私はやっているうちに仕事をやりながら理解してまいりました。

1961年、昭和36年といいますと、事務所に電話がかかってくると、環境開発センターって言っても通じない。まず環境という字を書ける人は一人もおりません。説明できないんですね。それは観光開発ですか。我々、観光開発もしないことはないから、観光開発もするけど、観光開発じゃなくて環境なんだ、いくら言っても駄目なんです。官庁開発ですか。我々は民間団体で官庁じゃないんだけど。でも官庁も大いに開発した方がいいかもしれませんけどねというふうな冗談は言いましたが、なかなか言葉を聞いてもらえない。そういう時代から我々は環境ということを考えてきました。

この環境という言葉をもう少し整理して、じゃどういう意味を持っていたかという点に入りましょう。当時の環境というのはアメリカなんかがいろいろ環境の白書なんか、当時、もう既に出しておりましたが、浅田孝さんはそういうところにも刺激を受けたんではないかと思います。

一つは、我々の全体のトータルな環境として考えるということですね。我々の人間というのは一つは遺伝子の要素、もう一つは環境の要素できまってきます。遺伝子要素(これはだれも変えることができません。しかし、環境については人間がつくったり変更したりしてきたものです。だからそのつくり方、変更の方法を考えるということです。

さらには長い間の環境にはさまざまな要素があるということです。これは物理的な環境もあるでしょうし、教育の環境もあるでしょうし、周りの社会的な環境も含めて環境です。そういう中で人間が形成されてくるわけですね。

 

 

 

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