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しかし、40になってから新しい仕事を始めるのは無理だし、30はもう来ちゃったからしようがない。35歳、自分勝手に設定をしたんですね。そして事実、35歳で決心をして、36歳からやり出した仕事がこの地域政策プランナーです。名前は地域プランナーとか都市のプランナーということもあります。都市というのはものすごく大きく農村も巻き込んで拡大しております。私は東京生まれの東京育ちなんですが、私の時代と今の東京はもう比べものにならないぐらい変化をしておりますし、大阪にも若いころ、長くおりましたが、大阪もすごい変化をしております。どんどんどんどん都市化をして、私らの子供の時代はむしろ農村社会だったんですが、現代では完全な都市社会になっております。それだけ大きな変化をしている、その都市をどういうふうに作っていくかということが私にとって大きな課題でございました。ですから都市をどのようにしていったらよいのかを総合的に考える、都市プランナーになろうというふうに考えたわけです。しかし、大きくいえば都市もひとつの地域ですから、狭い意味の都市だけでなく、農村、自然を含んだ「地域政策プランナー」というものになります。

これは総合的な仕事です。物をつくるという問題ばっかりではない、土木建築的なモノもありますけど、もちろん法律の問題とか、制度の問題であるとか、お金の問題であるとか、さまざまな問題が絡みます。私は理科系と文科系と両方やりましたし、あるいは中央官庁と民間と両方やりましたし、あるいは東京におりました、関西にも長くおりましたから、そういう意味でトータルに問題を考えられるんではないかな。私がそういう役割をしようと。

そして、どうも地域の様子を見てみると、地域は自分たちの環境、自分たちの地域をきちんと作ってない。確かに大きな道路ができたり、大きな工業開発が行われたり、大きな都市ができたり、ニュータウンができたり、そういうことは始まっておりますが、ただ大きな事業をしているだけで、総合的に地域に合ったことをやっているとは思えない。私どもプランナーというのは、そういうのをどうやったらいいかというお手伝いをする。各地域の立場に立って、それをお手伝いする。本来は、その地域の自治体がきちんとやればいいんですが、地域の自治体は当時まだそういう方がほとんどいない。それならば私は民間でそういう仕事をお手伝いをしようということで会社をやめたんですね。

ところが、今はそういう仕事をやっている方やシンクタンク、事務所もたくさんありますが、私の時代は全くありません。唯一あったのは大学の研究室だけなんですね。大学の研究室は大学院の学生たちを使って一種の研究としてやっているんです。それが研究委託と称していろんな自治体の委託費をもらって研究をしている。でも、研究だけしてもしようがないんで、本当にどうしたらいいかということを言えなきゃ困る。そうすると、本来の我々の民間のプロとしての事務所が仕事をしなきゃいかんだろう。その当時、まだシンクタンクなんていう言葉もなかった時代ですが、そういうことを考えたわけですが、その職場がない。

たまたま私の先輩が、「それじゃあ私がちょうど考えていたところだ。」まだ自分一人しかいなかった。奥さんが会計係で自分がやっているというだけだったんで、それじゃあ君もひとつ一緒にやるかということになりまして小さな小さな事務所を作りました。

 

 

 

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