日本財団 図書館


しまったスヴェルドロフスク州では、主に経営幹部(企業指導層)がそれに替わったのであって、ハリチナにおけるような「下からの革命」は起こらなかった。ただし、炭鉱ストの影響で三月革命が発生したシベリアのケメロヴォ州では、ハリチナと同様の現象が見られたようである。

(61) たとえば州ソビエトについては、新しい代議員75名中、共産主義者、社会主義者がそれぞれ1名しか当選しなかった。

(62) 第4位は民族民主党、第5位はウクライナ共産党、第6位にようやく極右民族主義政党の「ウクライナ民族アサンブレヤ-ウクライナ人民の自己防衛」が入った。全国的には、ウクライナ社会党よりも議会第一党であるウクライナ共産党の方が党勢はずっと上であるが(社会党は最高会議でキャスティング・ボートを握る「カナメ党」である)、ハリチナにおいては共産党はロシア語系住民の利益代表とみなされがちであるので、社会党の方が党勢を伸ばし易いようである。インタビュー:ウクライナ社会党リヴィウ市委員会第一書記タリポフ(Talipov)、エヴゲーニー・ミハイロヴィチ、 1 IV 97、リヴィウ市。

(63) A.Romaniuk,”Rukovoditeli L'vovskoi oblasti" v kn.:K.Matsuzato(red.),Rehiony Ukrainy - Khronika i kerivnyki (pidhot. do druk).

(64) インタビュー:前出のドロホブィチ地区国家行政府副長官ホミツィキー;ラデヒフ地区国家行政府長官オスタプチュク、オレクセイ・ムィハイロヴィチ(Ostapchuk Oleksei Mykhailovych)、同長官第一代理ムドルィク、ヴォロデーメル・ワシーリオヴィチ(Mudryk Volodymyr Vasil'ovych)、 3 ? 97、ラデヒフ市。

(65) 前出のラデヒフ地区国家行政府長官オスタプチュクからの聞き取り。

(66) L'vovskaia pravda,4 April 1990,p.1;前出のドロホブィチ地区国家行政府長官代理ホミツィキーからの聞き取り。

(67) 通常、地区大統領代表には、現職のソビエト議長=執行委員会議長が任命された。

(68) 前出のドロホブィチ地区国家行政府長官代理ホミツィキーからの聞き取り。なお、ウクライナ農民民主党は、1990年に作家S.プラチンダ(Plachinda)のイニシアチブで生まれた政党である。次を参照:Politychni partii Ukrainy (Kyiv, 1996),pp.98-100.

(69) 前出のラデヒフ地区国家行政府長官オスタプチュク、同長官第一代理ムドルィクからの聞き取り。

(70) これについては次の拙稿参照:「アバラート・デモクラシー-ロシアの中小都市、郡における政治と行政」『スラブ研究』No.43(1996),pp.93-128。

(71) ただし、1994年に選出されたリヴィウ州ソビエトにおいて、行政府指導者や「工業・金融マフィア」が大きな比重を占めているところは、ロシアの多くのリージョンと共通する。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION