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の五つをあげている(20)。ロシア太平洋艦隊の寄港地を抱える沿海地方のナショナリズムについても?は共通である。????に対応する要因は、対中国境の存在、中国人の流入問題であろう。対中国境改訂問題については、中国政府間で合意された改訂が沿海地方政府の反対で棚上げされるという前代未聞の事態に至っている。対中国境改訂問題こそが、「愛国者」ナズドラチェンコを台頭させた争点でもあった(21)。沿海地方の対中国人感情はかなり悪く、これは、中国政府が長年の願望にも拘わらずウラジオストクに領事館を開設できないことのひとつの背景である(22)。逆説的な光景だが、現地のロシア共産党組織も、リッチな日本人ビジネスマンの闊歩よりもむしろ、貧しい中国人労働者の流入を(ロシア国民の失業問題を深刻化させるものとして)槍玉に挙げる場合が多いようである(23)。

 

(2) 自民党と共産党の最近の動向

 

1996年大統領選挙以降の沿海地方の選挙についてみれば、「北のペリフェリー」型の投票行動に変化がみられる。第一に、(全国的な低落傾向とは対照的に)自民党の健闘が続いており、第二に、(全国的な頭打ち傾向とは対照的に)共産党が勢力を増している。この傾向が続くようだと、少なくとも地方選挙では左翼愛国派が確固たる地歩を固めるかもしれない。より重要なことは、人脈選挙の典型のように言われてきた沿海地方議会選挙において政党化が着実に進行していることである。

沿海地方における自民党組織は、1994年7月に正式に登録された。したがって、比例区で23.3%を獲得し、州組織の指導者であるエヴゲーニー・ボリシャコフを当選させた1993年12月の連邦議会下院選挙結果は、たんなるボランタリー活動の成果としてもたらされたものである。1997年12月時点で、クライの39の行政単位(12市、22地区、5市区)のうち、22の行政単位で自民党組織が登録されており2単位で登録手続き中である。同時期、クライの総党員数は約2,500人である。専従有給職員としては、ボリシャコフの議員助手として連邦議会予算により賄われているものが4名、党財政によって賄われているものが2名いるそうである。1997年末までに、自民党は、ナホトカ市、アルセーニエフ市、そしてウラジオストクの5市区のうち3市区で青年組織を開設した。青年組織の活動内容は、娯楽・交流に関わる一般的な青年運動のほか、青年の深刻な就職難に対応する雇用の斡旋、選挙準備としての住民意識の社会学的調査などである。いずれの活動にもコンピューターが駆使されている。活動内容から明らかなように、自民党は知的青年層、学生を引き込むことに成功している。

第1期沿海地方議会には議員定数39名中2名が自民党推薦候補であった。第2

 

 

 

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