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屋上屋を架すことを避け、むしろ従来の研究に共通する弱点と筆者が考える点を克服することに力を注ぐ。その弱点とは、第一に、個々の論文の分析対象時期が短く、論文というよりモニタリングに近い印象を与える点、第二に、(極東研究にいったん着手すると極東マニアになってしまうためか)極東をロシアのほかの地域と比較しようとする姿勢に乏しい点である。極東マニアになったらなったで、たとえば沿海、ハバロフスク、サハリン間の比較などを行えば非常に面白いだろうに、地域内比較の視点もない。本稿は、1990年以降の沿海地方史を、ロシアのほかのリージョンの歴史・現況と比較しながら分析する。

本稿は、1997年12月18日から28日にかけてウラジオストク市、ナホトカ市で行われた現地調査に基づいている。現地調査の基本は、通常はインタビューである。しかし、12月7日に行われた沿海地方議会選挙の結果、ナズドラチェンコ知事派が大きく後退し、12月27日に予定された議長選挙に向けて知事派と市長派とが厳しい議員切り崩し合戦を展開していた情勢下で、沿海地方行政府とウラジオストク市庁での筆者の調査は困難を極めた。沿海地方は、ロシア、ウクライナのリージョンとしては筆者にとつて八つ目の現地調査対象であったが、両行政府の公式の対応の冷たさは、それら八つのうちおよそ下から2番目に位置する。外務省の便宜供与を受け、日本総領事館という現地では大変な権威を持った機関の仲介で調査が行われたことを考慮すれば、「下から2番目」でさえなかろう。沿海地方における政争が大規模な広報戦を伴っていることは有名であるが、ナズドラチェンコ知事派、チェレプコーフ・ウラジオストク市長派共に、自分の子飼いの情報媒体を育成することに熱心で、中立的なジャーナリストなり研究者なりに親切にして自分に有利な記事・論文を書いてもらうような、洗練された広報政策に乏しいように感じられたのである(12)。対照的に、ナホトカの市議会と市行政府には本当に親切にしていただいた。

1994年10月から翌年12月にかけて選出された第1期沿海地方議会(13)は、そこに市・地区行政府長官(つまり、知事の部下たち)が多く選出されていたことから、ナズドラチェンコの「ポケットの中の議会」と呼ばれた。これは民主主義の見地からは望ましいことではない反面、行政のプロでもある議員が政争を避け、実務的な立法活動に専念できたということを意味している。実際、第1期沿海地方議会は、立法能力の点ではロシアのほかのリージョン議会と比べてもかなり高い水準にあったようである。クライの法律は、議会官報である『沿海地方議会報知(Vedomosti Dumy Primorskogo kraia)』に発表されたときをもって発効するとされる。重要な法律は『沿海地方法令集(Sbornik zakonov Primorskogo kraia)』に再録される(1998年1月に第3巻が出版予定)。ただし、『報知』も『法令集』も発行部数が

 

 

 

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