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「公」と「私」のあいだ

加藤秀俊(中部高等学術研究所所長)

 

利他主義の根源は「側隠の情」

 

いささか奇異にきこえるかもしれないが、西洋の近代思想史のなかで「利他主義」(Altruism)についてさいしょにその位置づけをあきらかにしたのは、オーギュスト・コントであった。いうまでもなく、コントは一九世紀のフランスの社会学者というよりも、「社会学」という学問の創始者として歴史に名をとどめている人物だが、かれはその著書『実証精神論』(一八四四年)のなかで有名な「三段階の法則」を展開する。

かれによれば、人間の精神史はおよそ三つの段階にわかれる。すなわち、もっとも原初的な段階は「神学的」段階、そしてそれにつづいて「形而上学的」段階が出現し、最終的にはそれは「実証主義的」段階に到達する。かれのいう「社会学的」精神とは、この「実証主義的」段階の産物であり、またその中核をなすものだったのである。そして「愛他主義」もまた、この段階ではじめて出現してくる性質のものだ。

すなわち、この段階に先立つ神学的、形而上学的道徳とは、基本的に「利己主義」以外のなにものでもなかった。たしかに教会は善意を教え、博愛を説く。だが、コントのみるところ、しょせん「信仰」の主体は「個人」であり、ひとびとが宗教に帰依するのは「個人」の救済をもとめているからなのである。その事情をかれはこんなふうにいう。

「神学思想によれば、一人ひとりの信者は常に本質上個人的な利害に関心を持ち、この個人的な利害の圧倒的優越によって、他のあらゆる考慮は必然的に吸収されてしまう。(中略)また、信者に、自分の最も大切な個人的利害を絶えず計算するという習慣があるために、他のあらゆる点でも、段階的類推から、過度の用心、予測、ついには利己主義が人間のうちに発達してしまった」

このような利己的感情の根底にあるのは、宗教というものの「非社会性」である。神学は社会を無視しているわけではないが、そこにある「社会」とは、結局のところ、「個人」の単純な集合であって、それは有機的に統合されたものではなかった。教会では、神のため、隣人のため、あるいは病人や貧者のために募金したりする。それは一見したところ、自己犠牲のごとくにもみえるけれども、

 

 

 

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