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無縁であった下級武士の中から出た人たちによって形成されていった。その主たる理由は、侍階級、並びに商人階級の人たちのそれぞれの青少年時代の教育基盤の違いによるものであったと、博士は指摘しておられる。

それは具体的に言うと、商人たちの学校である寺子屋における教育というものが、主として「読み書きそろばん」といういわゆる形而下の実学であったのに対し、武士階級の子弟が行く学校は、各藩の藩校といわれるところであって、教育は主として形而上の倫理学、哲学といったような学問であった。このような学問的素養の違いが、明治以降になって欧米先進国から流入してくる新しい思想、新しい学問を吸収する上で非常な違いを発揮したというわけである。

武士階級の者たちは商人階級の人たちに比べて、そういう新しい思想や新しい学問の吸収がより容易であった。そういうことが、富とは必ずしも縁のなかったはずの武士階級の出身者が逆に新しい財閥形成に成功して、その後の日本をつくっていくうえで大きな影響力を果たした。ヒルシュマイヤー博士は、そう指摘しておられる。それは違うと否定する人もいるかもしれないが、私は確かに一面の真理ではないかと思う。

明治維新後、徳川幕府を倒して新政府をつくったのが、いわゆる薩摩・長州を主とした反幕府の諸藩の武士たちであったことは当然としても、財閥を形成して経済力を握った者たちの多くも、またかつての武士たちの後身であったとすると、さきに述べた江戸時代までは政治権力はあったけれども経済力がなかった侍階級と、経済力はあったけれども政治権力のなかった商人たちとが合体をした、いわば政治経済権力とでもいうべき一本の柱に統合されてしまった、ということになる。

そして、もう一つの、政治権力も経済権力もなかったけれども、知的で開明的であったいわゆる庶民たち。彼らも依然として一つの柱になるわけで、いってみれば二本の柱が存在した。政治経済権力の柱と知力の柱と言おうか、その二本の柱によって新しい社会が支えられていたということも言えるのではないか。

このように見てくると、さきに紹介した著作の中でヒルシュマイヤー博士が述べている次の指摘はよく理解できる。「明治の財閥たちと欧米の財閥たちの企業者精神を比較してみると、ともに利潤の追求を第一義とするという点では共通してい

 

 

 

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