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社会貢献を優先させた明治の指導者

 

ダニエル・ベル先生の歴史的な名著『資本主義の文化的矛盾』には、「アメリカや日本をはじめ現代の工業社会は、政治・経済・文化という三本の柱によって支えられてきた」とある。

ここであえて支えられてきたという過去形でいうのには理由がある。それは特にベル先生のお国であるアメリカの場合、この三本の柱がそれぞれ独立した目的に向かって独り歩きをし始め、それぞれの間に矛盾をあらわにし、一つの危険な兆候を示し始めているのが現代だと指摘されているからである。

さて、同じく工業社会の成熟期にあると思われる日本の場合にはどうだろうか。農業社会の成熟期であった明治維新直前までの日本、江戸時代の日本――これは今から顧みると、一本の柱は、政治権力はあったが経済力がまことに貧困であった武士階級。もう一本の柱として、経済力はあったが政治権力が全くなかった商人階級。そしてもう一本の柱が、政治権力も経済権力もなかったが、知性的には少しも貧しくなかった賢明な農民や職人などのいわゆる庶民たち。この三本の柱によって支えられてきていたように、思うのである。

これはそのころ同じ封建社会であったヨーロッパの国々に比べると、むしろ日本のほうがより安定した社会であったということが言えるのではないだろうか。なぜならば、ヨーロッパの場合は政治権力と経済権力とが合体しており、要するに、政治権力を持っているところに経済力もあった。そして、政治権力も経済権力ももたない庶民とは隔絶していた。この点こそ、日本がヨーロッパ型のいわゆる革命を経ないで農業社会から工業社会へ転換することに成功した大きな理由であったと思う。

しかし、その明治以降、工業社会としての日本はどういう足取りを経てきたであろうか。私の見るところでは、必ずしも順当とは言えない。既に故人になられたヒルシュマイヤー博士(元南山大学学長)の名著『日本における企業者精神(entrepreneurship)の生成』(東洋経済新報社、一九六五年刊)によると、明治の財閥は、江戸時代のいわゆる豪商と言われた人たちの流れをくんだ人もないではなかったが、それよりもむしろ、かつては富とは

 

 

 

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