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サマーラ州の例であるが、この州においては、州知事が、大統領選挙の第1回投票と決戦投票の間の期間に、第1回投票時に共産党侯補ズユガーノフの得票率が最も高かった三つの「地区」の行政長官を、見せしめ的に解任した。しかも、そのうち一人は汚職を理由として直ちに逮捕・収監した(13)。「決戦投票に向けて真面目に運動しないと、お前たちもこうなるぞ」と、行政長官たちに警告したわけである。ロシアにおける連邦制・地方自治が根本において擬制的・宣言的なものにすぎないと本章冒頭で述べたのは、このような事情を指している。アメリカ合衆国において、州職員・自治体職員が、自分の思想信条に関わりなく、現職大統領のために勤務時間中に選挙運動を行なうなどということが考えられるだろうか。

このような体制の下では、平和的な政権交替は極めて困難である。また、この体制には、選挙が市民の自発的な活動であることを前提とした西側政治学の(往々にして数学的な)方法は適用できない。1996年大統領選挙におけるエリツィンの勝利を西側の政治学者のほとんどが予想できなかったのは当然である。また、たとえば「ロシアの選択」:ガイダール党は、1993年国会選挙では第二党であったが、1995年選挙では5%バリアを越えることさえできなかった。このような変易性(ヴォラティリティ)も、西側政治学の方法では説明が難しい。しかし、事実は単純であり、実際の唯一の政権与党は行政府党であって、この与党が1993年には「ロシアの選択」、1995年には「我らが家ロシア」というように、まるで手袋でも替えるかのように、票を動員する対象を替えるのである。

筆者が行政府党と呼ぶものについて、ポスト・ソヴィエト学においては「権力党」という用語を採用する場合が多い。しかし、筆者は行政府党という呼称の方が正確であると考える。その理由は、第1に、「権力党」というものは、日本であろうとイタリアであろうとスウェーデンであろうと、長期安定政権が続けば多かれ少なかれ形成されるものであって、この用語では、国家機構そのものが現存する政権の選挙母胎になるというロシアの政治体制の特殊性を表現できない。利益誘導、企業ぐるみ選挙といった我々がよく知っている現象とロシアで行なわれていることとでは、質がだいぶ異なる。第2に、「権力党」という言葉は、それが共産主義体制およびノメンクラトゥーラの残滓であり、過度的な現象であるというニュアンスを帯びている。筆者は、この党はより深い社会学的な根をもっており、資本主義体制下でも十分、再生産可能なものであると考える(14)。第3に、「権力党」という用語は、ロシアにおいて政党システムが未発達であるという認識、つまりこれまた現在のロシアがよりノーマルな状態への過度期にあるという認識を前提としている。筆者は、行政府党と共産党が事実上の二大政党制を形成する現在のロシアの政党システムは、既にかなりの程度確立されたシステムであると考える。

 

6 州エリートの緩やかな連合としての行政府党

次に、旧体制崩壊に伴う変化の側面に着目する。上で見たような非競争的なヘゲモニー

 

 

 

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